プルプルゼリー

 

 連休中、子供達にプルプルゼリーを配った。

それはどんな物かというと、鼻くそ位の大きさの吸水ポリマーを水に入れて置くと、まぁ、

一晩くらいかな、すると、プルリンとしたビー玉位の大きさになる。

それは、キラキラ光って、見た目はビー玉なのに触ると冷たくてプルプルしている。

 

先ずは、子供に

「子供の日で、プルゼリーをプレゼントしているんだけどあげる?」と聞く。

すると、殆どの子が私の顔でなく親の顔を見る。

 そして、親が子供の顔を見ながら「だって!」と言う。

「ビンに飾ってもいいし、バケツに入れてゼリースクイしても楽しいよ」

「だってよ、貰ったら」と言う親。

もじもじして親の陰に隠れる子供。

そこで、「ほら、貰うんだったら自分でスクウんだよ」と穴あきお玉を出す。

 時々、そのお玉にも手を出さない子供が居るが、殆どの子はお玉を握る。

横から一緒に握ろうとする親を無視して「自分でやろうね」と子供に言う。

 ポリ袋を広げてサポートする。

お玉を水平にしないと少ししかすくえない。

すると、そこに手を出そうとする親が居て、その手を払う子供が居る。

「自分でやるんだよねぇ」と加勢して、

1回すくったら、「はい、オマケだよ」と大盛りを入れて、

「こぼすと困るからね」と、ポリ袋の口を縛り、もう一枚のポリ袋に入れる。

ここで、殆どの親が横で言うのが、

「はい、何て言うの?」か、「『ありがとう』は?」

本当に驚くほど殆どの親が、子供が小さかろう(2,3歳)が大きかろう(小学高学年)

が、言う。

 その度に私は思う(だぁーってろよ! 何で一々子供の気持ちに介入してくんだよ!)

 

 その話をしたら、

「じゃぁ、どうしたらいいんですか?」という人あり。

 子供が声を掛けられたら、子供が返事する。

一々親の顔を見ないで、話し掛けた人の顔を見て、子供が自分で考えて、自分で返事する。

子供が自分で決める。自分で行う。

親がすべきことは、一人の人間である子供の気持ち、考え、行動に介入しない。

と、言うと

「あ〜、見守るんですね」

「いや、見守る。なんていう上から目線じゃなくて、子供にちょっかいを出さない」

「ちょっかい?」

そう、余計な手出しをすることを“ちょっかいを出す”という。

 

落ち着いて、じっくり物ごとを考えて行動する人間に“育って欲しい”と思うなら、

親は横からちょっかいを出さないことだ。

 ここで補足する。

じっくり考えて行動する人間に“育てたい”なら、と、私は言わない。

 何故なら、人は、全て“自分の力で育って行く”と思っているからだ。

でも、周りに入る大人がちょっかいを出すと、子供は遠回りをすることになる。

それが、功を奏することもある。人間万事塞翁が馬。何が良いか悪いかは時が経たね

ば分からない。ということもあるが、今、正しいと思う事を行おう。

しかし、何が正しいか分からないと道に迷う。

いや、道に迷っている事さえ分からないのではないかと思う事がある。

子供が大きく育ってほしいと思うなら、自分を育てることが基本軸となる。

 

 話がアッチコッチするが、ちょっかいを出す親に育てられた、としよう。(ワシ?)

それが、現在でなく過去の話であるなら、それを今の栄養にする。

 全てのことは、それがあったからダメなんじゃなくて、それがあったから今の自分の

肥料(こやし)となっていることに気が付けばよいんだと思う。

だからと言って、自分が嫌だったこと(過干渉、支配、虐待、イジメ)を、子供を含め

他人にしてはならない。

嫌だと思う事は、人にしないための大事な感情だ。

自分が嫌だと思ってないと、分からないで人にもやっちゃうんだよな。

 

「つまり、子供は放っておけばいいんですね」

「ん〜、答えってのは、一つじゃないんだよなぁ。

だけど、取り敢えず、子供が話し掛けられて居たら大人は黙って口を出さないでいたら?」

「黙って、見守る?」

「ん〜、見守るのは勝手だけど、見守ってま〜す。ってオーラを出さないことだな」

「オーラ?」

「そう、口には出さないけどビンビン子供に『こうしなさい!』ってオーラ出してる親が

居て、そうなると、やっぱり子供は親の顔見て、自分の世界に居られないんだよなぁ」

「難しいですね」

「おっと、ここで、一つのコツがあります」

「え!?何ですか?」

「これが、簡単なんです」

「ナニナニ?」

「『難しい』という言葉を、『面白い』に替えるだけでオーケーなんです」

「そうなんですか?」

「まぁ、試しにやってみて、結果は自分で感じて下さい」

 

 

 何回も書いてるけど、マザーテレサの言葉。

「思考に気をつけなさい、思考は、いずれあなたの言葉となります。

言葉に気を付けなさい、言葉は、いずれあなたの行動となります。

行動に気をつけなさい、行動は、いずれあなたの習慣となります。

習慣に気をつけなさい、習慣は、いずれあなたの性格となります。

性格に気をつけなさい、性格は、いずれあなたの、人生となります。

 

ここで、さぁて、どこから起動修正するか。

言葉を変えると、気持ちが変わる。

言葉を変えると、思考が変わる。

言葉を変えると、言葉が変わる。

言葉が変わると、思考が、行動が変わる。

 

人には、評価だけしてやらない人と、取り敢えずやってみる人が居る。

 

 

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