ランドセル

 私ってADHDだったんじゃないかと思うんだ。

自分では、とても優れているような気持ちでいた、いるんだけど、他の人から見たら

どうなんだろう?と思う。

私は目立ってきた。っていっても優れて目立つわけじゃないんだよね。

子供の時に言われた言葉が、“トンピョクリンな子供”だった。

私の行動は、勝手な思い込みと勘違い、そしてそこから発展した思考の延長線上にある。

その上に、私の訳の分からない自信は成り立っている。

 

 小学校の登校時間は8時位だったと思う。

その為には7時半位に家を出れば、楽に学校に着いた。

 だが、用意周到で早起きの母親は、7時位には私を家から追い出した。

そう、私にとっては追い出されるような感じだった。

「前の日のうちに明日の用意をしておけよ」と何度言われたことだろう、でも出来な

かった。

その日の朝になって自分の机の前でモタモタしている私を、母は叱り飛ばし、まさに

家から追い出されるように家を出ることになった。

 

私は、いつも自分のペースの時間が欲しかった。一人になりたくていた。

中学になって初めて、便所の横の玄関の端をカーテンで仕切った私だけの空間が与えら

れるまで、いつも監視されていた気がする。それは拷問のようだった。

その記憶のせいか、今でも何かしている時に監視されていると感じたり横から口を出

す者がいると、また、私の前に立ちはだかり、足を引っ張り、思考回路を混乱させると

感じた途端、私の中の何かが切れる。

 

集団登校の集合場所には、まだ誰も来ていない。

私はランドセルを下ろして遊び始める。

砂利道のゆるやかな坂の途中、横にはいつも遊んでいる広場があった。

砂利を集めたり、土に絵を描いたり、周りに生えている草花を眺めたり虫を追ったり、

冬に焚き火をした思い出があるのは、そこに誰か近所の大人でも居たのだろうか。

兎に角、私はどんな所に居ても遊ぶ材料には事欠かない。

退屈が嫌いというか、退屈に耐えられない私は、常に何か面白い楽しめるものを探し

のめりこんでいないといられない。

 そして、友達が集まる頃には、自分の世界に入り込み没頭していることになる。

「さぁ、もう行くよ!」と班長が声を掛け、地べたに座り込んでいた私は、慌てて列に

加わり歩き始める。

 

 私は、班長を任せられたことはなかったと思う。

「責任感が薄い」と、よく人に言われてきたが、責任を持つということがどういうことか

よく分からず、誰かの面倒をみようとするとお節介になり、なおかつ自分のすべきことが

おろそかになってしまう。

大体が自分の面倒も満足に見られないのに、人の面倒を見ることなど出来るはずない。

その反面、面倒見が良いとも言われ続けてきた。

が、しかし、私は面倒を見ているつもりはなく、自分が面白いと思うことをしている

だけで、若しくはやらなくてはならない羽目になったことからは、取り敢えず逃げないで

出来るだけ誠意と敬意を持ってやってきたというだけだ。

 

 あっ、それで学校への道のりが中盤を過ぎた頃に、

「あれ?アサちゃん、ランドセルどうしたの?」という友達の声を聞くことになるのだ。

「えっ!?」っというか「ゲッ!」である。

 後になってからは、笑い話に出来るが、その時は面倒くさいし、またやっちゃったと

いう自己嫌悪の塊となる。

 でも、ランドセルを持ちに戻らないわけにはいかない。

10分歩いて来た所なら、10分かけて戻って、10分かけて歩いて来て、やっとそこの

場所に戻ることになる。

(どーして自分はこうなんだろう?)と落ち込むが、何回でもそれを繰り返すというのは、

懲りていないからなんだろうか?

 でも、そうそう、落ち込むのはちょっとだけで、一人で歩いていると空が青かったり

鳥の声が聞こえたり、考え事をして、周りを見ながら歩くのは結構シアワセな気分だった。

 

“1を聞いて10を知る”という言葉を知ったのは何時だったか、

その時に思った。

(1から10に行っちゃったら、その間が楽しめないだろうよ)と、

まわり道や道草って大好き。

 違う景色が見えて、違う気持ちになれて、違う自分と毎回出逢うことになる。

今の自分の“ランドセル”って何にあたるんだろう?

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