最後の時

 

 お盆が近づくと、美咲は、昔通っていた割烹店のタイショウのことを思い出す。

そして、あの時のことを思い出すと、“人間も”最後の時は(が)分かるのかな。と思う。

 “人間も”というのは、口の利けない動物は自分の死期を分かっているような気がして

いるが、人間は動物みたいに分からないと思っているからだ。

 それが、タイショウが亡くなったと聞いた時、(あーやっぱり)と思ったのだった。

 

美咲の店の休みとタイショウの店の定休日は同じで月曜日だ。

8月に入った定休日のことだった。

 美咲は、店の二階にある居間で新聞を読みながらテレビを見ていた。

いっぱいに開いた窓から、よく晴れた夏空が蝉の声と一緒に入り込んでいた。

 窓の下の道路にブロロン、ブロロンという大型バイクのエンジン音が聞こえ、同時に

リズミカルな音楽も聞こえた。

 何だろうと窓から道路を見ると、ハーレイダビットソンにまたがったタイショウが居た。

カーボーイハットに黒皮のジャケットにパンツ、インディアンブーツのいでたちは、身長

が180センチあって、整った顔立ちのタイショウを輝かせていた。

「おっ、カーッコイイ!」と美咲は思わず言った。

「ヨッ、みさきちゃん」とタイショウは頭の上で手を振り、

「ちょっと降りておいでよ」と言った。

 休日の美咲は一日中パジャマのような格好で居るので、誰か来ても居ない振りをしたり

するのだが、その時は、何だかとても嬉しくなって外へ出た。

 タイショウは、「こいつに乗るのは久しぶりなんだ」と言ってバイクの腹をたたいた。

「長い間眠らせていたこいつと、海岸線を走ってきたんだ」と言うタイショウの顔は少年

みたいだった。

 バイクの何処から聞こえるのか、軽快なリズムの音楽が流れ、美咲はタイショウと2人

違う何処かの国で話しているような気がした。

 タイショウは、バイクの太い腹のあたりをパカッと開けビニール袋を取り出し、

「これ、食べてよ」と美咲に渡した。

中には、焼いた大きなエビが入っていた。

「えー、タイショウが食べたらよ」

「いいんだ、俺は海辺の人と話すのが楽しくてついでに買っただけで、食べたくて買った

わけじゃないんだ」

「そうなの、だったら奥さんのお土産にすればいいのに」

「そういうこと言うなよ、みさきちゃんに食べてもらいたいんだからさぁ」

 その日タイショウは、取引している食品問屋におにぎりを買って届けたり知り合いの店

に顔を出して「ウチの良一をよろしく頼む」と言ってまわっていた。

 

 その1週間後の月曜日。

美咲の夫が蕎麦を打ち、タイショウにも持って行ってやると言い出した。

 美咲の夫は善意の人なのだが、計画性ってやつがちょっと足りない。

夕食が終ってから、すぐに食べなければならない物を持ってこられても困ることもある

だろう。と言うと「じゃ電話してみる」と電話を入れた。

 タイショウは、「アリガトウ、でもカレー腹いっぱい食べちゃって、もう何も入らない

からまた今度御馳走して」と言った。

 

 翌日、タイショウは板場に普段通りに入った。

カウンターに出てお客の相手をしたりしていたが、8時半過ぎ

「何だか疲れちゃったみたいだから、奥でやすんでくるな」とタイショウの後を継いで

頑張っている良一に言った。

 心配して「大丈夫?病院にでも行く?」と良一は言ったが、

「少し休めば大丈夫だから」と奥の座敷に入って行った。

仕事の最中に休むなどということは、持病を持っていたタイショウだったが、それまで

一度もなかった。

 少しして良一が見に行くと、座布団を枕に意識がなかった。

すぐに救急車を呼んだが、病院に行くまでもなかった。

 

 亡くなる前の日、何でも屋のシンさんがゴミを集めに行くと、まだ5時前だというのに

店の入り口が開いてタイショウがカウンターに腰掛けていた。

「ね、シンさん、頼みがあるんだ」と、タイショウはビールを注いできてシンさんに渡し

た。(あの頃は、飲酒運転に甘い時代だった)

「今日、ここの周りの草を刈って欲しいんだよ」

「いやぁー、今日は予定が入っていて」

「急で悪いけど、頼むよぉ」

「今日じゃないとダメなのか?」

「うん、今日じゃないとダメなんだよ、頼むよ」とタイショウは深深と頭を下げた。

 

 次の休みだっていいだろうに、とシンさんは思ったという。

でも、そこまで頼まれてはやらないわけにはいかない。

 そして、店の周りがきれいになった翌日。

タイショウは、天国へ行った。

 

 蕎麦を持って行こうとした時は、何も食べていなかった。

奥さんがカレーを作ったが、「ニオイだけで美味しい、お腹がいっぱいになったよ。

ありがとう」と言って食べなかったらしい。

 

 

 人の一生って何なんだろう?と、美咲は思う。

苦労して店を持ち、景気の良い時に結婚して別れ、再婚してなさぬ仲の子を育て。

 嫁ぐ日の朝、娘が言った。

「お父さんは、私にとってただ一人の最高のお父さんです」と。

良一の料理の腕が上がることを喜び、孫の誕生を喜び、奥さんと仕事に精を出した。

 お客を大事にして、ミル貝を出す時「見るより聞くよりするが良い」

ゴルフの話をするお客に「ワタシは、ゴルフはダメですが、ズボンはシングルです」

と毎回言った。

 美咲は、タイショウがへこたれた顔や仏頂面をするのを見たことがなかった。

 

 もうすぐタイショウの命日が来る。

 

 

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