幸せ診断

 

 “幸せ診断”というか“幸せ判断”みたいなのがあった。

それは「あなたは、幸せですか?」で始まった。

 気が向いたらやってみて。

私の答えは「はい」

 

すると、次の質問が出る。

「あなたは、一日に何回幸せを感じますか?」

@4回以上

A2.3回

B1回

C毎日はないが、時々

D滅多にない

E殆どない

私の答え@

 すると、「あなたは人生の達人です、何もいうことはありません」と出た。

 

 次の質問

「あなたは、幸せになりたいですか?」

                          私の答え「はい」

「幸せを感じようと努力していますか?」

                            「はい」

「どうしたら幸せになれるか分かっていますか?」

                            「はい」

「その通りに行動出来ていますか?」

                            「はい」

 そこで、「あなたは、『神様(みたいな人』または、『ウソツキ』です」と出た。

 

次の質問

「あなたは、将来の夢がありますか?」

                            「はい」

「それはいいことです。夢を持って生きるということは、幸せになる為の方法です。

夢を持っている“今”をイキイキと楽しんで下さい。

あなたの夢が叶うことをお祈りいたします」

 次の質問

「あなたは、幸せにしたい人がいますか?」

                             「はい」

「人を幸せにすることは、一つの方法です。幸せにしたい人を幸せにすることを考え

実行することを、自分の幸せとしましょう」

 

 何だか、面白くない気がした。

何でだろうと考えた。

 だーいたいが、正直に答えたのに「神様(みたいな人)」か「ウソツキ」ちゃ何だ?

何が「ウソツキ」なんだ?

 毎日幸せを感じているってことか?

幸せになるにはどうしたらいいか分かってるってことか?

 それを実行してるってことか?

 

私が思う「幸せになるためにはどうしたらいいか?」

そこには、私なりの沢山の方法がある。

 欲を出さない。嬉しいことは素直に喜ぶが、有頂天にならない。

出来ることを頑張りすぎないで、ちょっと踏ん張ってする。

 出来ないことで自分を責めない。疲れたら休む。良いことに感謝、嫌なことに感謝。

心のストッパーを外しつつ、羽目を外さない。季節を感じる。身体を柔軟にする。

 瞑想をする。メダカを見る。犬と遊ぶ。毎日良いウンコが出る暮らしをする。

マズイ!と思ったら、それは有難い知らせ、直すように努力する。

 そして、ここが大事。

行えば、行っていることが幸せ。

 出来るということは、結果ではなくそこに向かって行うということ。

行うことの中には、「してはいけない」と自分が思ったら「やらない」ということも

行うことになる。

 だから、自分の判断と、意思を持っていれば、全ては行う実行している。ということ

になる。

 

 そして、私が気をつけていることの一つに、

「見返りを求めない。結果を求めない」というのがある。

 いや、間違い「求めて、求めない」が正しい。

人を幸せにしたい。と思った時点で、私は幸せ。

 更に、幸せにする為に何か行動が出来るということは、恥の上塗りならぬ幸せの上塗り

盤石なものとなる。

幸せにしたい人が居るという有難さ(感謝)と、そういう心持になっているということ

は、そのまま幸せ。

 だから、夢がある時点で“幸せ”だし、幸せにしたい人がいる時点で“幸せ”

それを、幸せになる一つの方法としてしまうということは、幸せの先送りをするという

ことだと私は思う。

 野球の話でも書いたけど、それをしている時にこそが“幸せ”がある。

で、優勝してもしなくても幸せなんだってことに気がつかないと勿体ないことになる。

勿体とは、本来ある姿、それに気がつかないってのは、ホント勿体ないっすよ。

 

 ウソツキ、でも神様(みたいな人)でも、いいっすよ。

ワシ、シアワセっすから。

 

 

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