しかり

 

 無料の手作り教室を、時々やる。

それは、大人向けのモノと子供向けのモノがあって、ちょっと興味がありそうだったり

暇そうな人に声を掛けて行っている。

先日は、子供向けのモノだった。

そこに飾ってあるミニチュアの作品を見て、小学4、5年の男の子が足を止めた。

「それ、面白いでしょう、楊枝とマスキングテープだけで作れちゃうんだよ」

「へ〜」

「作ってみる?」

「ん〜、止めとく」

「何で?」

「だって、出来なかったらカッコ悪い“から”」

「あらら、あんた、カッコ悪いのホントの意味分かってねぇな」

「え?」

「やるか、やらないか、は、人の自由だよ、やりたくないからやらない。の時は

人は自由の身だけど、カッコ悪いからとか出来ないからとか、言い訳が付いた時は

もー、その人は縛られていて自由じゃなくなってるんだな。

で、『出来なかったらカッコ悪い』って考え方そのものこそがカッコ悪いんだな」

うっせ―人間だなワシ。と思いながら言うと、

「なるほど、しかり」と彼は言った。

そこで、一気に気分が良くなるワシ。

「よーし、分かるか。

よく、『流行りの洋服や靴じゃないからカッコ悪い』とか『みっともない』『恥ずかしい』

ってなことを言うヤツが居るじゃないか。

そのセリフ、その思考回路こそがカッコ悪いと君は思わないか?」

「しかり」と、また彼は言った。

「私は、どんな格好でも堂々としているのがカッコイイと思ってるんだが、どうだ?」

「うん、そうだね」

「私は、小学2年生の時に学校でウンコを洩らしたんだ」

「何で?」

「授業中にウンコがしたくなったんだけど、それを先生に言うのが恥ずかしくて我慢して

我慢できなくなってようやく先生に言って便所に行った時には、時すでに遅し、間に合

わなかったんだ」

「へー」

「でも、我ながら偉かった。

まぁ、『ウンコもらし』って意地悪するようなバカな子も居なかったんだけど、その時は

落ち込んだんだけど、一回も学校に行くのが嫌だとは思わなかったし言わなかった」

「へー」

「私の店の前を、小学生が通るじゃない?

もう、この店36年やってるんだよ。

そうすると、オシッコ洩らしの子だの、ウンコ洩らしの子が寄ったりするんだ。

その時、この話をして、ウンコを洩らすのは恥ずかしいことじゃない!

恥ずかしいのは、そういう子を馬鹿にしてはやし立てるような真似をする人で、

そして、ウンコを洩らしたからと言って学校に行きたくない。なんて言うことだ。

って、話すんだ」

「うん、そうだね」

「失敗は恥ずかしい事じゃない、失敗した時にそこから逃げようとすることが、恥ずか

しい事だと私は思う」

「うん、僕もそう思う」

「いいねぇ、君。

ピンチは、チャンス。って言うべ、困った時こそ、その人の真価、つまり本当の価値が

現れる。試されている。っていうんだな」

「しかり」

 

「ところで、やってみる?」

「やってみる」

「そーか」

 

作り方を教えて私はそこを離れた。

暫らくして作った物を持って彼が来た。

「ありがとうございました」と彼は言った。

 

 

 いやぁー、正月明け早々に気分が良かった。

でも、『しかり』って何処で覚えたんだろう?

 この話をしたら、大人で「しかり、って何?」と分からない人が結構居た。

 

しかり、っていうのは、然(しか)る。の、ふさわしい。適している。当たり前。

と同じ意味で、『確かに』という感じかな。

 ヤツは、時代劇か、ゲームでこの言葉をゲットしたと見た。

 

 

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