身辺整理

 

<地震、店、マンション、倉庫の品物が>

 最近、身辺整理をしている。

考えてみると、子共ん時から、気が付くと常に身辺整理をしていた気がする。

 なのに、何時まで経ってもチャント片付いたことがない。

だけど、ここ最近の片付けの量は半端ない。

何故そんなに片付けしているか、先ずは震災で店がグチャグチャになった。

自宅も大変な状態になった。

が、それらの片付けは店員さんが家族まで連れてきてやってくれ、以前よりキレイに

なった感じで、棚から落ちて足の踏み場もなく山となった本と漫画は友人が来て片付け、

現在も来てくれている。

 山小屋の本棚は、何故かその日話がしたくなって山小屋に誘った人が、片付けていって

くれた。

って、自分は何処の片づけが大変なんだー!?って話だよね。

そうそう、あとは、一つの店を畳んでその品物が本店の方に返ってきたこと。

それに、東京のマンションを手放すことにしたので、そこに置いてあった家具荷物が

全部家に来た。

 それに加えて、義姉の倉庫から処分品を貰った。

それが、処分品といっても殆どが新品で捨てるなんて考えられない物ばかり。

 それらの物が家の至る所に山となっていて、洗濯機やエアコンなどは雨ざらしの状態。

娘たちに「欲しい物があったらあげる」と言ったのだが、あっさり一言「いらない」

 仕方がない。地道に片づけていこうと覚悟を決めた。

 

<整理開始>

 時間さえあれば、整理は面白い。好きだ。でも、いかんせん、仕事をやりながらだと

その時間がない。

そして、書きモノがしたい!という欲求が常にあるので、それが私を追い立てる。

 追い立てると言ったが、草引き、花植え、料理、洗濯、掃除、片づけ、仕事、書きモノ、

そのどれもが、その時に応じて面白くて夢中になる。

 そこに毎日のように“草引き”(人間の)がある。

なーんて、忙しいんでしょ。

 でも、覚悟を決めて片づけ整理を始めたら、それを手に入れた時の思い出がよみがえっ

てきた。

 

<マンションの品物>

 マンションを手に入れたのは、子供たちが家から出て東京で働きだした1998年。

私たち夫婦は、子どもと一緒に暮さない主義。

 自給自足、自分のことは自分で管理し行う。本人の身の丈にあった暮らしをする。

親が金持ちだろうと貧乏だろうと、子供には関係ない。

 なーんて言いながら、家賃が払えない子共の為に、自分たちが仕事で利用するからと

言い訳しながら山の手線沿いに3LDKの中古マンションを買った。

 食器や鍋、布団や家具、飾り物を見ながらその時のことを思い出した。

 

仕事も子育てもひと段落したその頃、私が考えた我が家の次のテーマは

“仲良し親子の一家団欒”だった。

考えてみたら、生活が苦しかった時も、順調になってからも仕事仕事の毎日で、旅行や

外食は別として、家では家族だけで落ち着いて食事をした覚えは殆どなく、毎晩のように

宴会や飲み会だった。

 マンションは、子供たちと私達の部屋の他に15畳程のダイニングリビングがあった。

そこの応接セットから絨毯、ランプも額絵も、鍋や食器も青と黄色だけで揃えたりした。

 収納があって使いやすいダイニングで料理をして、家族で食べる夕食は、楽しかった。

まぁ、それも間もなく外食になるんだけどね。

 それに、それまで突っ走って生きてきたB型4人家族は、家族そのものが刺激的だから

事ある毎に議論になり騒ぎを起こし、何ていい家族なんだろうなんて満足するのは一時の

ことで、「じゃ!」と別れる時は皆ホッとしてたんじゃないだろうか。私はそうだったな。

 そのクセ、暫らくすると会いたくなって、ウヒャ、ウヒャとはしゃいで皆が集まる。

 

引っ越しした日、駅からマンションまでの道が桜で満開だった。

風の強い日だった。

その日まで用事があった私は、家具の配置を書いた見取り図を渡し、夫と子供たちに

任せた。

 さて、これから夢に描いた一家団欒だ。と、

駅から10分、わくわくしながら足を急がせた。

11階にエレベーターが上がっていくのも待ち遠しく、ドアを開けると、家具の配置が

決まらずふてくされて座り込んでいる3人が見えた。

 それからの私の働きは、今思い出しても気持ちがいい。

テキパキという音が聞こえてきそうな支持を出し、家族に息吹を吹き込みあっと言う間に

部屋が片付いた。

それから、近くのスーパーに買い出しに行き夕食を作った。

勿論酒で乾杯し、間もなく夫は、新品革張りの応接セットの上で横になり眠ってしまった。

 私の膝を枕にして。

すると、娘たちが言った。

「お父さんって、段取り悪くって、何言ってるか分かんないし、そのうち怒りだすし

どーしようもなくなった所にお母さんが来たんだよ。

ズルイよお母さん。救世主現るって感じで登場してさ。

それまでのお父さんは、捨てられた犬が居場所がなくて凶暴になってる感じで手が付け

られなかったんだからね。

それが、お母さんが来たら、あっ、ようやくボクを分かる人が来た!って感じで、

落ち着いちゃってさ。

それからはいい働きしちゃってさ」

「何言ってんのよ、マンション買う手続きしたり、引っ越しの準備したりここまでの

段取りしたのはお父さんだろうよ」

「そりゃ分かってるけど、ムカつくんだよ」

と、娘たちは口ぐちに文句を言ったが、私はシアワセだった。

それから、それまで欲しくても置くスペースななくて買えなかった物を買っては、

マンションに運んだ。

長女が自力でアパートを借りてそこから出て行ってからは、二女と喧嘩しながら親密な

時間を過ごした。

 一人でそこに居る時は、本当に自由な気持ちになった。

あれから13年になるんだな。と、出した荷物の一つ一つから思い出すことがあった。

そんなことしてるから、荷ほどきが進まず片付かない。

断捨離ってのが流行ってるらしいけど、そのコツはトキメかない物は捨てるんだそうだ。

 が、どれもこれもトキメいちゃうんだ。

 

そこで始めたのが、例えば布団だったら今押入れに入っている物も全部出して、使う

分だけを押入れに入れる。それ以外は、処分する。

戸棚でも箪笥でも入りきれない物が出ているからこんなに雑然としている。

           今回は、本気を出して最後まで片づける覚悟だ。

 

<返ってきた>

 義姉からも処分したいからといって沢山の物を貰った。

そこに私があげた物が入っていた。

色々と世話になることが多いので、感謝の気持ちを込めてお礼しようと思っても義姉は

大金持ちで何でもあるので何をあげたらいいのか何時も迷う。

 そして、結局自分が欲しいと思う物をあげることになるが、自分には買わないでしまう

ことが多い。

 それが、手つかずで戻ってきた。

その話をしたら私達の関係を知らない人は、失礼じゃないか。と言った。

 いやいや、全然失礼じゃない。

彼女の手腕、潔さ、思いやりは、付き合った人でないと分からないから仕方がないが。

 それは兎も角、私の欲しかった物が、返って、帰ってきたんだ。

マンションの品物も、欲しくて大事に集めた物ばかりだった。

 それが、帰ってきた。おかえりー。

それは、今ある物と入れ替えをすることにした。

 

<分類する>

 ある人に45個の引出しがあるファイルケースを貰った。よく物を貰う人間だよな。

早速山小屋にあげて書類の整理が始まった。

 今、ジャンル別に分けている。

どんどんテーブルの上や床から物がなくなっている。

 片付けるには、入る場所を作らねばならない。と当たり前のことに感心している。

そして、入りきらない物は処分。

 食器も衣類もこの調子で頑張るつもり。

 

 いやぁー、テーブルの上に何もないって気持ちいいねぇ。

これで、少しは頭の中もスッキリするかな。

 

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