小学校の思い出

 

 私が通った小学校は、小さな山の上にあった。

古戦場跡だという噂があり、裏山の方には防空壕があるという話だった。

2,30メートルの高さの山、丘といった方がいいのだろうか、そこの上が平らに

なっていて、その南側にある階段を登って行くと、木造平屋の小学校が正面に見える。

中央にある校庭を囲むように建っている学校の周りは、林や藪になっているが、所々に

隠れるように細い道が山の下へと続いていた。

 

 私は、その小学校が大好きで、大嫌いだった。

自分への疑問と不安を知ったのが、その小学校生活からだったと思う。

そして、自分探しの旅が始まったのも、そこからだった気がする。

 

 またしつこく言うが、私はADHDだったんじゃないかと思う。

どんなところがそう思うか、先ずは、集団行動がとれない。

気が向かないと人の話が聞けない。

次の行動に対する予測が出来ない。だから、やることなすことイキアタリバッタリ。

自由奔放とか明朗活発という評価がなされたが、ようするに自分勝手。

 でも、自分の擁護(ようご、かばい)は自分でするしかない。

私は、何時だって心は自由だった。シアワセな人間だと思う。

虫と語り、自然と戯れ、本の世界に没頭し、空想の世界を自由に羽ばたくことが出来る。

先生や親に認められるタメじゃなくて、興味を持ったことを調べ研究し、自分の感性の声

に耳を傾ける。

 って、自分大好きな私は、自分を語りだすと止まらなくなるから、この話はこの辺に

して、今回はカズ限りなくある失敗談の一つを話そう。

 

視聴覚室

 私は、授業中に先生の話を聞くことが、殆どなかった。

それは何故か、面白くなかったからだ。

 時ー々、面白いと思った時だけセンサーが働き、先生の声が耳に入ってきた。

でも、殆どの事は興味の持てないことばかりだった。

 

 私は友達が居なかったのではないかと思う。

というか、馴れ合う、群れるということが大嫌いだった。

だから、「友達をイッパイ作る」というのを小学校の時に、毎年、毎年、目標に掲げながら

実質的には、その関係を切って切って、切りまくってきた。

 大体が、何故便所に友達と行かねばならないか、分からない。

面白くもない話をしたり、また、話を合わせねばならないのかが、分からない。

誰かと仲良くなると、不自由になる。

一人で考え事をしたいのに、無視すると、何故、逆恨みされるのかが分からない。

自分の考えや意見を言うと、先生や友達が引くのは、何故なんだろう?

と、いうような私なのに、友達が居ないということに、とても罪悪感を持っていたの

でーす。

 ここで言いたいんですけど、友達が居ないって悪いことなんですかー。

形ばっかり、相手に合わせた関係に、ナンの意味があるんですかー。

って、大人になって思えるようになりました。

そして現在は、変わり者の自分が、アリノママでいて、そんな私を好きと言う人が

案外居ます。

どーも、アリガトウ。

そして、変わり者の人安心して、大丈夫だから、世間の形じゃなくて自分の形を持てば

いいだけのことだから。ね!

 

あ、話戻って、小学校では、

先生の話を聞かなくても教科書を読めば、普通の成績ではいられた。

でも、学校生活には支障があった。支障だらけだった。

 

 ある時の休み時間に、一人で便所に行ったのか、或いは図書室で本でも読んでいたのか

兎に角、教室に戻ったら、そこはもぬけの殻だった。

(えー、どうしたんだ?!)と、私は呆然とした。

キーンコーン、カーンコーン、と授業が始まる鐘がなったが、教室には誰も居ない。

 あれは、忘れもしない暖かい晴れた日だった。

教室から出て、みんなは何処に行ったのかと捜すことにした。

廊下を歩いて行くと、違う教室では当たり前に授業が始まっている。

その窓の下を見つからないように移動する。

(あっ、そうだ、この間植えたジャガイモ畑に行ったのかもしれない)

昇降口の下駄箱に向かう、靴を履いて、校庭を横切らずに裏にまわり林の中にある畑に

行く。

誰も居ない。ただ風の音が木々を渡り、青空に吸い込まれていく。

心細さと平和な穏やかさが、心を満たしウットリする。

(あっ、こうしてはいられない)

校舎に取って返す。

教室に戻る。

やっぱり誰も居ない。

(若しかして理科室かもしれない)

コンクリートの外廊下を渡って、裏校舎にある理科室に行く。

でも、窓ガラスから見える理科室に人影はない。

(あっ、視聴覚室だ!)

私は探し物をするのが好きみたいで、わざわざ一番見つかりそうな場所を後回しにする

クセがある。

 視聴覚室に行くと、そのドアは閉められ、小さなドアの窓にまで暗幕カーテンで閉じ

られている。

(あー、良かった。みんなココにいたんだ)と安心する。

だけど、視聴覚室が大好きで、そこで見る幻灯とか八ミリを観るほど、私にとって

嬉しい、楽しみなことはなかった。

ガヤガヤ、ザワザワと、部屋から声が漏れてくる。

そのドアの横に膝を抱えて座り、中の様子を想像する。

モワーンとした空気のニオイ、電気の光に漂うホコリのキラメキ。

そして(これは、自分のだらしなさに対する罰なんだ)と思う。

(これが、嫌だったら、苦しかったら、もっとしっかりしろよ)と、自分を叱咤激励する。

長いお仕置きが終わり、授業が終わった鐘が鳴って、視聴覚室のドアが開く。

そこから出てきた友達の固まりに急いで入る。

 

 長い、長い、私の一時間(45分?)が終わった。

凄いよねぇ。

今でもその時の情景は、脳裏に焼きつき、その時の気持ちは、ここに在るんだから。

 

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