ソロバン

 

 ソロバンの教室に通い始めたのは、小学4年生になった頃だった。

4年生の授業でソロバンが始まるので、その前にソロバン教室に入れてしまおうという

のが、母親の考えだった。

 最初に連れていかれた家は、坂の途中にある板塀に囲まれた老夫婦の家だった。

穏やかな感じの二人は私を歓迎し、私はすっかりやる気になっていた。

 しかし、母は何故かそこを断り、町の大きなソロバン教室に決めた。

 

母に連れられて初めて教室に行った日、先生が月謝などの説明をした後で

「教室に通えばミンナすぐに上達しますから大丈夫ですよ」と言ったが、沢山並んだ机

の横に座る子供を、コッソリ指差して言った。

「まあ、たまに例外が居ますけどね。あの子なんかは、もう4年も通っているのに6級

までしか受からないんですよ」

 帰りの道で「お前は、ちゃんと教室に通って2級か3級まで取んだかんな」と母は

言った。

 町のソロバン教室の先生は、頭が良すぎると噂の人だった。

兄と妹で教室を経営していたが、頭が良すぎて先の先まで読んで被害妄想になって

何でもないことでも騒ぎを起こしたりするという噂だった。

 二人とも色が白く、目が大きくてちょっと血管が浮き出たような神経質な感じだった。

 

最初の家は一人で通う筈だったのが、次に決まった町の教室は、勉強の出来る同級生が

一緒に通うことになっていた。

 最初は、近所に住む落ち着いた頑張り屋のチャーコちゃんと二人で通っていたが、すぐ

にタエコちゃんというこれまた成績が優秀な人が仲間に加わった。

 母は、母の目から見てろくな友達がいない私に、何とかチャンとした友達をつけようと

躍起になっていた。

 ソロバン教室に、チャンとした女友達と出掛ける私に母は上機嫌で、帰りにアイスを

買って食べてもいいとバス代の他に10円を持たせた。

 

 暫くは、ちゃんとソロバンをやっていた。

初夏に左肘を骨折し、それでも白い三角巾で腕を吊りながらソロバン教室に通った。

 がぁ、5年生になってからだと思う。

マブダチのヒロシちゃんが、入ってきた。

ヒロシちゃんは、オンナオトコというあだ名で、私はオトコオンナと言われていた。

私もヒロシちゃんも痩せて色が白く、私たちを雪女と言うヤツもいた。

 5年生からクラブがあって絵を描くことが大好きな私たちは、デザインクラブなるも

のを作った。

部員は私たち二人だけで、クラブの時間になると陽だまりでスケッチブックを広げて

遊んだ。

 ヒロシちゃんの家は大きな農家で、暗い大きな倉庫があった。

なだらかな坂の上に広い庭があって、そこは夏休みのラジオ体操の場所になっていた。

ヒロシちゃんのオバチャンは、どうってことのないサッパリした人だが、オジチャンは

野蛮な感じの嫌らしい感じの人で怖かった。

 短気なお兄ちゃんとお姉ちゃんが居たが、ヒロシちゃんはあだ名の通り優しくて

ナヨナヨしていた。

 私たちは、絵が好きということと同時に、動物が大好きだった。

虫や魚は勿論、犬猫も大好きで猫の仔が産まれるとこを見せると言われヒロシちゃんの

家の押入れに入り込み、汗だくになって暗闇に息をこらして待ったりした。

 

 そんなヒロシちゃんが、ソロバン教室に入ってきた。

ヒロシちゃんが入って間もなくだった。

 私と同じで飽きっぽいヒロシちゃんが便所から帰ってきて私に言った。

「いいトコ見つけたから、便所に行く振りして行ってみっぺよ」

「何?」と私はその話に乗った。

並んでいる横に長い机と椅子から滑り降り、目立たないように背を低くしてその間を

すり抜けた。

 教室の横の廊下の奥には、二階に繋がる階段があった。

そこを猫になった気持ちで、四つんばいで上がって行くと、二階は人形教室になっていた。

 ナニやら人形の原型のような物があって色取り取りの布が置かれてあった。

その横には棚があって、ナント!漫画の本が並んでいた。

 確か、サンデーとかマガジンみたいな男の漫画だったと思う。

そこに“おそ松くん”があったことを覚えている。

 私がよく読んでいたのは“マーガレット”と“少女フレンド”“リボン”などで、そこ

にあった漫画は新鮮だった。

 それからは、ソロバンに行って点呼に返事を済ませるとコッソリと二階に上がって漫画

を読むのがキマリになった。

 考えてみると、ヒロシちゃんと二人でいる時、絵を描いていても、動物を見ていても

漫画を読んでいる時も二人とも殆んど口を利かなかった気がする。

 でも、私は満足だった。

 冬の朝に散歩していると、ヒロシちゃんが家の前の坂で焚き火をしている。

そこに行って座り込んで見ているとヒロシちゃんは、焚き火で焼いた胡桃(くるみ)を

石で割って私の口に放り込む。

 私はオシャベリだと言われるが、今までの男友達と一緒に居ても口を利かないことが

多かった。

 旦那と居ても口を利かないことが多い。

そういう時、旦那は満足していないかもしれないが、私は満足している。

 

 そして、何年も通ったソロバンは、確か6級までしか受からなかったと思う。

あの伝説の出来ない子のように。

 母親が、「あの最初の話を聞いた時に悪い予感がした」と怒った。

当時の母親のパートの日当が千円いかない位で、月謝が360円から380円になった

覚えがある。

 申し訳ないことをした。

大人になってから、もう時効だろうと思って

「実は、ソロバン教室に行ってソロバンしないで、二階に上がって漫画を読んでた」と

言ってしまった。

 それを聞いた母は、

「お前には、どれだけ裏切られてきたか!

お母ちゃんが、どんな思いでお前を育ててきたか分からないだろう!」と、悔しがって

泣いた。

 (あー、失敗した。言わなければよかった)と思った時は、時スデに遅し。

最近、年老いた母は、それを思い出して怒りを再燃している。

 あー、申し訳ないことをした。っていうか、言わなければ良かったんだよねぇ。

 

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