正月の夢

 

 その時ある形は、その人が求めたもの。

人は、そうなりたくて生まれてきた。

こうなりたくて生まれてきた。

それは、どういう状態であっても。

 

 死ぬ。ってのは、終わりがやってくる。ってこと。

生まれる。ってのは、新しい人生が始まる。ってこと。

 生まれた時、その前のことを背負ってくる。

終わらなかった仕事が、翌年に持ち越されるように、

貯まった宝が、貯金となってついてくる。

 

 終わらなかった仕事。

関係の結び直し、愛すること、愛されること。

欲して求めて与えられなかったことを、手に入れて味わうこと。

働くこと、楽しむこと。

 やりたくて出来なかったこと。

 

 貯金。

何も求めず、夢中になって楽しんだこと。人が、自分が、喜こんだこと。

 誰か、何かが、助かったこと。

 

 

 私は年末になると、人生が終わるみたいな気持になる。

そして、新しい年が始まると、生まれ変わったような気持ちになる。

 それは、新しい初めての場所に旅行に行ってきた時にも感じる気持だ。

だからこんな夢を見たんだろうか。

でも、何だか納得した。

 

 そうだな。取り敢えず、自分なりに自分にウソをつかず自分なりに精一杯やって

きたな。

野良着を着て、畑を掘り、生ごみを埋める。

枯れ草を燃やし、犬と歩く。本を読み、娘が持ってきた漫画を、映画を観る。

夫は、もう一人の娘夫婦と温泉に行き、私一人の時間。

そこへ「酒の肴作ったから、酒のみに来い」と母からの電話。

「やりたいことがあるから」と断ると、

「何がやりたいんだ?」と母。

「色々あるんだぁ」

「そぉかぁー」

 

 私のやりたいことは、一人で居ること。

誰にも邪魔されず、心乱されず、目の前にあることをじっくり観察して考えたい。

何が面白いんだ?と聞かれるが、庭でも畑でもそこに座り込んだら見たいもので

あふれている。

 今日は、ブラックベリーの柵を作った。その横にレンガの道を作った。

枯れ葉の下に、水仙やムスカリの芽が出ていた。

 メダカたちは、水槽や水瓶の下でじっと動かないが、枯れ葉の下の土がムクムク

動き出している。

 幸せだと思う。

 

そして、更に欲を出して願うならば、それぞれ自分の力で幸せになって欲しい。

何かと比べて不安や不満を持ったり、余所に何かを求めることなく、

自分で自分を楽しんで欲しい。

と、淋しそうに聞こえた母の声に思った。

 私は、誰かに求められる度にそう思う。(求めずに誘われるならОK、断っても負担に

ならないから)

 

 私は子供の時から一人で居たくてきた。

しかし、親に何もしてもらえず淋しかったという母によって、休みのたびに家族で

行楽地へ行くことになった。

 早朝から弁当を作る母は焦り要領の悪い私に八つ当たりする、そして起こる両親の諍い。

私は車酔いをするタチだった。

 キレイなちゃんとした服が用意され、食事にも気を使う母だった。

過保護というか過干渉の中で育った私は、自由を求めていた。

 土の上で寝ころまっても気にならない服、チカチカしない身体にまとわりつかない服。

何時間動かずにいても、誰からも何も言われず、思う存分何かを堪能したい。

 それが、今、叶っている。

 

でも、あの頃辛かったと思うことも、私が望んでそうなっていたってことになるのかな。

あの夢からすると。

 

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