ストーカー

 

 初めまして。

私、ある所でスナックを経営してます。

店の名前は、私の名前であります市川奈々から、“スナック奈々”といいます。

 

 あと何年かで還暦を迎える年になりましたが、この年になって分かったのは、幾つに

なっても気持ちって変わらないんだなぁ。ってことです。

 まあ、経験は色々積んできましたが、気持ちの根本。根っこの部分って一生変わらない

んじゃないかと、思っております。

 まあ、こうだと断定した瞬間に変わるってこともありますんで、今は、そう思っており

ます。

 私は夜の店で何十年にも渡って働いてきました。

自分の店を持って20年程になります。たくさんの人と出合いました。

 世の中には、色んなことがありますねぇ。

 

 最近の話です。

「ママ、あたしこの店辞めることになるかもしれない」

「どうしたのよ」

困った顔で話始めたのは、1年前から働いている美鈴ちゃん。

「あのね。あたしの勘違いかもしれないんだけど、信ちゃんにストーカーされてるの」

「ストーカーって?」

「あたしのアパートの周りウロウロして、あたしを見張ってるの」

「あなた達、付き合ってたの?」

「ううん、ゼンゼン。

最初の時にママに言われたでしょ。

お客さまは、お店のお客さまなんだから公私混同はしないようにって」

「いや、私的には何をしても関係ないわよ。

ただ、店ではキチンと一線を引くように、プロとして働くってことよ」

「分かってます。

最初にママと話した時に『あたし、男に振り回されやすいんです』って言ったら、ママが

『男っていう言い方はお止めなさい。男の人って言いなさい。失礼な言い方をする人は

失礼な目に合います』って言ったでしょ」

「そんなこと言った?」

「言いました。それで、その時も『生きるプロになりなさい』って言われたんです」

 

私は、店の女(こ)達が、陰でお客さまのことを失礼な言い方をすることを厳しく、

戒(いまし)めている。

 この店を持つ前に働いていた時、お客さまのことを「あのハゲ」だとか「カツラ」「ケチ」

からデブ、スケベなどと言い、ヨビツケにしておきながら、その人の前では猫なで声を

出す人が居て、私はその人が大嫌いだった。

 自分の店を持った時(パトロンなし)自分の思い通りの店に出来ると、小躍りする程

嬉しかった。

 私は、人の憩える、働く人もそこに来てくださるお客さまも、みんなが幸せな時間を

過ごせる店にしたいと思った。

 

 信ちゃんが店に来たのは、半年前のことだった。

同僚に誘われて初めて此処に来たという信一は、

「じゃあ、信ちゃんだね」と言われて、ドギマギしながらも嬉しそうに顔を赤らめていた。

 隣に座った美鈴ちゃんに「年は幾つ?」と聞かれ

「30歳」と答えると「きゃー、私と同じ年だぁ」と美鈴ちゃんが嬉しそうに言った時、

実は、ちょっとヤバイ気がして美鈴ちゃんに、信ちゃんにはあまり気を持たせるような

言動は控えた方がいいと忠告しようと思ったが、言うのを忘れた。

 信ちゃんは、最初のうちは同僚と来ていたが、段々一人で来るようになって常連さんに

なった。

 私の知らないところで携帯電話のメールのやり取りなどをしていたらしいが、外で二人

だけで会ったこともなかったと美鈴ちゃんは言う。

「あたしは、お店のお客さん以上の感情はゼンゼンなかったんですよ。

だって、二人で会ったこともないんですよ。それなのに、何だか、メールで一人で盛り

上がってきちゃって」

 

 夜の店というのは暗黙の裡(うち)の了解みたいなものがあって、擬似恋愛のような

やり取りを楽しんだりする。

 その人の氏素性は関係なく、店である程度紳士で、お金をキチンと支払えば気持ちの

良い時間を過ごして明日への活力へと、労(いた)わりの言葉や優しい言葉、ちょっと

ヤキモチの振りなんぞをして楽しんでいただくことになる。

 信ちゃんは、年齢の割りに子供だった。彼女居ない歴、30年。一途で真面目で優しい。

 

「少し前にお店に来た時、『あたしたち、付き合っていないよね』って念を押したら

『エッ』って信ちゃん固まっちゃって」

「うーん」

「メールも、もう止めようってメールしたら『どうしたの?らしくないじゃん』って

ハートマークいっぱい付けてくるし、アパートの周りに居るようになって。

実は、もう別のアパート見つけて引越す準備してるんです」

「そんなに切羽詰まってたの」

「メールもみんなに見せたら、これはヤバイって」

「んー、誰に味方するんでもないけど、何かが信ちゃんに対して失礼な気がするなぁ」

「だって、怖いじゃないですか。

だから、もう二度と会わないように電話も変えてアパートも出て店を辞めちゃおうかと

思うんです」

「そうかぁ。

二つの面から考えてみようよ。

一つは、美鈴ちゃんの安全ね。本当に信ちゃんがストーカーになっているとしたら、

危険な状態が起きた時に緊急の連絡をする所を確保して話しておく。

自分でも一人きりにならないように身の安全に気をつける。

あと、本当に危ないと思うんだったら、警察に行って話しておく」

「でも、警察は事件にならなければ動いてくれないんでしょ?」

「いや、警察に行って『あの、私ストーカーされてるみたいなんですけど話聞いていた

だけますか?』って言って、事実を短的に話すの。

そして最後に『失礼ですけどお名前教えていただけますか?』って言って手帳にそれを

書く所を見せる。ここがミソだからね。大事なのは、冷静、短的、的確、確認」

「ママって勝負強いよね」

「当たり前。何かするには勝利を掴むの。

でも、本当の勝利は、誰も傷つけずに自分の思いを通すってことよ」

 

「それから、もう一つの問題。

さっきも言ったけど、信ちゃんに対して失礼な気がしてならない。

彼を犯罪者にするのは簡単な気がするわよ。

今の彼は、今までになかった擬似恋愛の世界で夢を見ている気がする。

現実の世界じゃなくてバーチャルな世界で妄想して遊んでる。そして、今までの所は

害がなかった。でも、現実と自分の妄想の間にズレが生じ始めた。

 まあ、そこで相手が少し大人だったら軌道修正が出来るんだけど、悪いけどあなたも

同じ子供。

『きゃー、何だか怖い』っていうんで、もう会いたくない。電話も出ない。メールも無視。

傍に来ることも話すことも拒否。

今の信ちゃんは、何が何だか分からない状態だと思うな。

あの優しい信ちゃんが、オロオロして、若しかして、自分が何か悪いことしちゃったか

と思って、美鈴ちゃんに事実を確かめたいと思っても逃げ回っていて話も出来ない。

ハッキリ言うけど、ここでドロンしちゃったら、信ちゃんは生霊になるね」

「きゃー、怖い」

「怖いのは、信ちゃんだけじゃないよ。美鈴ちゃん、あなたもだよ」

「どうしたらいいんですか?」

「誰か、しっかりした頼りになる人を間に立てて信ちゃんと話し合う。

私でもいいけど、信ちゃんのあの同僚はどうよ」

「あのぉー、あたしあの人と付き合ってるんです」

「あちゃー。それじゃ駄目だ。

分かった。若し、私で良ければ、間に入って話をしよう」

「はい。お願いします」

 

「でも、最後にもう一度言うよ。

失礼をやめなさい。メールをみんなに見せるとか、最初は面白がっていたんじゃないの?」

「はい」と美鈴は下を向いた。

「信ちゃんは、今時の若い子みたいにスレていないからちょっとズレて感じるかもしれ

ない。

でも、それを面白がったり馬鹿にしたり遊んだりすることは、自分を貶(おとし)

めることなんだよ」

「はい」

「私にとって、美鈴ちゃんも大事、信ちゃんも大事。

それは、ウチのコだからとか、お客さんだからじゃなくて、みんな大事な人なの。

分かる?」

「はい。あたし、ママみたいになりたい」

「なれ」

 

  信ちゃんとは後日話し合い。納得。

信ちゃんは、美鈴ちゃんが同僚と付き合っていると聞いて祝福の言葉を口にした。

 美鈴ちゃんは、アパートを引越さず、今も私の店で働いている。

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