鈴木ヒロミツ

 

 今日は、花曇りってんですか?

空から新緑から、向こうに連なる山々まで白くカスミがかかったように見えます。

 あっ、今、陽が射してきました。

&Aさん、早速の投稿ありがとうございます。

 私がある意味思い出の中に生きているように、みんなそれぞれの思い出を持ち、その上

で希望を持って生きているんだなぁ、なんぞと思うのであります。

 そういえば、

 この間、実家からきたゴミの片付けをしていたんですが、その処分するダンボール箱の

底に敷かれていた新聞紙の日付が、昭和50年、12月31日だったんですよぉ。

 昭和50年っていったら、私が21歳青春っていうか、元気爆発の歳じゃないですか!

あー、あの頃の私はタバコ吸って、エーちゃん、あの矢沢が近くの文化センターや市民会

館に来るって聞くや、三菱ランサーセレステのサターンエンジンを噴かして駆けつけたん

ですが、ライブの後は興奮しちゃって、大音響の後は耳が聞こえなくなるんですよ。

帰りのヤンチャな車と競争したり、そのまま海まで車をぶっ飛ばしたもんです。

 マミアナなんかは、その頃の話です。

 

昭和50年の大晦日の朝日新聞の天声人語の欄に、その時々の流行歌によって時代が

表れるというようなことが書いてあったんですよ。

それで、その年は夕暮れ時をテーマにした歌が流行ったと、そこには書いてありました。

 昭和36年には“上を向いて歩こう”37年には“いつでも夢を”

42年には“世界は二人のために”45年には“希望”が流行ったとあって

49年には、オイルショックがあったわけですね。

 流行り言葉も“俺についてこい”“オー、モウレツ”と元気だったのが、

“ノンビリ行こうよ俺たちは”から“ガンバラなくっちゃ”で、49年には、“じっと我慢

の子”になって“私は泣いています”がやってきて50年は“ちかれたびー”だと書いて

ありました。

最近鈴木ヒロミツさんが亡くなりましたね。

私、鈴木ヒロミツさんの歌も好きでした。

“たどりついたらいつも雨降り”とか、“ノンビリ行こうよ俺たちは”とかアンニュイな

ような、優しいような淋しいような感じがホッとしたもんです。

リリーのハスキーな声での“私は泣いています”も大好きでレコードアルバム持ってま

すよ。

 あれから、昭和50年っていうと1975年だから、32年経つんですねぇ。

今年の流行歌って何ですかね。

では、今日は、鈴木ヒロミツさんの“たどりついたらいつも雨降り”で、

♪疲れぇ果てて、いることが、誰にも分かりはしないだろうー、

ところがおいらは、何のためにこんなに疲れて、いるのだろー、

今日と、いう日が、こんなにも悲しい、一日とは、思わないが、

それでも、やっぱり、考えてしまう、あーこのけだるさはー何だー、

心の中に、傘をさして一人で歩いてくー、自分が見−える♪

            記憶による歌詞なので間違いがあっても勘弁して(^−^)

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