しゃべり場2

 

 <しゃべりの場を楽しくするためのルール>

話は、短く、面白く

自慢話をしない、見せびらかさない

 個人名を出さない(誉める時も)

話したくない人に強要しない

人を悪者にして、自分を正当化しない

話をねつ造しない、ウソを言わない

事実を捻じ曲げない、憶測で話さない

相手によって態度や意見を変えない

他人の領域に入らない

決めつけない

固定観念を持たないようにする

張り合わない、戦わない、勝とうとしない、やっつけようとしない、

脅さない、威圧しない、

自分の意見を言う、人の口を借りない、人のせいにしない

押し付けない、押さえつけようとしない

分かった振りをしない

 

人は、本当に知ることはない自分と違う存在であることを肝に命じて

その上で分かろうとする努力をする。

   私は、知らないことを知っている。と、ソクラテスは言った。

 

(これらのことは、自分がするのであって、人に求めない)これが大事

 

<話すコツ>

絶対〜だよ。を、〜なんじゃないかと私は思う。〜のような気がする。

それは、〜ですよ。を、私は〜だと思う。〜だと聞きました。

〜の方がいいよ。を、〜もいいんじゃない?

〜が言っていた。と、人の言葉の横流しをするのでなく、そのことに対して自分は

どう感じ、どう思い、どう考えているのか、自分の意見を話す。

 

「愛される人におなりなさい」とキリストは言ったらしい。

でも愛されるタメに媚びたり自分を曲げる必要はないと私は思う。

 真直ぐありのまま自分にウソをつかないで、愛される人間になりたい。

 

<ありのままで愛される?好かれるちょっとしたコツ>

 間が大事、ゆっくり話す、すぐに反応しない、相手の話を受け入れる、先ずは聞く。

そして、人はカッコイイ人が好き。

 どんな人がカッコイイと感じるか。

客観的に自分を見られる人はステキです。

でも、相手によって態度を変えたり、ムキになったり、エコ贔屓身贔屓(ひいき)を

している人は見苦しいを越して嫌悪さえ感じます(私は)

有頂天(うちょうてん)になって現(うつつ)を抜かして居たり、自分の思い通りに

ならない時に感情的になって我を忘れた姿はカッコ悪いですよね。

でも、一番大事なのことはやさしさ、相手を思いやる気持ちではないでしょうか.

自分自身を愛すように、家族を愛し、隣人を愛し、敵さえも愛すことが出来たら、

こんな素敵なカッコイイ人はいないと私は思うのです.

 自分にとっての損得でなく、大きい目で見て、広い心で考えられたら、なんてステキ

なことでしょう.

さぁ、みんな! しゃべり場を楽しめる 人間になろう.

 

しゃべり場が、面白くて、楽しくて元気が出て、嫌な気持ちを後に残さない、いや

後味が良い、後味って大事だね。そうなるには。

 付和雷同(ふわらいどう)せず。考えなしに声を揃えない。

和して同ぜず。 

玉石混交(ぎょくせきこんこう)せず。味噌くそ一緒にしない。

君は君、僕は僕、されど仲良し。

 

 ってなことが、表面にかいてあり、裏面には、

 

 おしゃべり、話すことは、一種の戦い。そんな風に私は思ってきました。

しかし、戦う相手は誰でもない“自分自身の心”なのではないでしょうか。

 ある宗教家が聖戦をジハードと言っていました。

自分達の大切なモノを守るための聖なる戦いが、ジハードなんだそうです。

 でも、もっと大きな戦いがあってそれを大ジハードとその方は言っていました。

大ジハードとは、自分自身の低我(ていが)と戦う事。

人をやっつけたい、自分が一番になりたい、自分の思い通りにしたい。という低我と

戦うことこそが、大ジハード聖戦なんだそうです。

話すことは、柔道にも似ていると思います。

技を知り、受け身を覚え、ルールを作り守る。

それは、心技一体、心があって技が生まれる。

だから、本当は技やルールはなくていいのかもしれません。

 だけど、少しコツを知ることで、受け身で流され、自分の感情にも流される人生から

自分を律し、正しい技を使える人生に、人の言葉にただ振り回されたり、知らずに人を

傷つけてしまうことのない、自分が主役の人生になったらステキだと思いませんか?

 その時、自分だけが主役なのではなく、誰もが主役なんだということを頭に置けば、

言葉が、技がキチガイに刃物なることはないでしょう。

人は間違う生きものだ、だから成長し続ける。と、親鸞聖人はおっしゃられたそうです。

 

 

 生きて行くことは、実は簡単で当たり前のことなのではないでしょうか。

その簡単なことを知るために、遠回りして生きて行くのが人生のような気がします。

あなたの子や家族は、あなたの子や家族であって、あなたのモノではない。

あなたが幸せになる為の道具でもなければ、あなたに手柄を立てさせ、見栄を満足させる

為に存在するのでもない。

これは、家族に限らず、友人、仲間、社会、国、全てに言えることだと思います。

 

人の幸せは繋がっていて、だから、自分のシアワセは人のシアワセで、人のシアワセは

自分のシアワセでありながら、自分は自分を生きる。

 

愛される人におなりなさい。と、キリストは言われたらしいが、愛するかどうかは相手

の領域。愛されることは人任せ、だったら自分が、愛する人になればいい。

 そろそろ、自分が主役になりましょうや。

 

状況や、その時の運不運で自分が変わってしまう。のでなく、そこに現れたモノを

自分の味方にして肥やしにしていきましょうよ。ピンチこそチャンスの転機。

 育ちが悪かったから、と言う人が居ましたが、育ちは良かったとか悪かったでなく

それをどうこなしていくかじゃないですか。

 見栄を捨てて本当のプライドを持ちたい。

差別せず、区別の出来る人になりたい。

 深刻にならず、真剣に生きたい。

 

 過去は私の先生、そこに失敗はない。こうするとこうなるよ。と教えている。

全てをありのままに引き受けて、後悔せずに反省して、悪かったことにも、良かったこ

とにも感謝したい。

未来は自分で育てて行く子供。

理想を持って、夢を忘れず、結果だけを求めず、信じる種を蒔(ま)いて行く。

 今、生きてそれが出来る。有り難い、ありがとう。

 

 いや〜、22年経っても、同じこと考えてるし、書いてるね。

って、子供ん時からこの思考思想にブレはない。

 そんな私に「あなたは悩んだりしないでしょう?」と言う人が居る。

ザーンネンでした〜。悩むちゅうか、心の置き所が無くなくなることがある。

 そういう時、どうするか。

お風呂を磨く、色んな所を整理整頓する、草を引く、瞑想、ヨーガ、仕事、兎に角

何も考えないで目の前に集中する。

 辛いことがあると何も手に付かなくなる。って人が居るけど、私は、辛い時こそ

一心不乱に目の前のものに心を込める。

 そして、思い出す言葉。

「人間、悩んでいるうちは大丈夫さ、悩まなくなった時が危ないんだよ」

 

 

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