舎弟(げんのしょうこ)

 

 私はなまりの強い祖父母の家で育ち特殊なんだと思うが、弟分を“しゃでえ”と言った。

舎弟(しゃてい)がなまって“しゃでえ”とウチの田舎の方は言っていた。

 因みに兄貴は“せな”と言う。

 

 面白い話があって、ある人が、都会の人に「ウチの“しゃでえ”がよぉ」と話したら

「あの人、ヤクザ関係の人みたいよ」と噂になったらしい。

 私は、女の人が「“しゃでえ”がぁ」と話しているのを聞いて、弟の話だと思って聞いて

いたが、どうも話の辻褄(つじつま)が合わない。

 よく聞いたら、贈答用品の店“シャディ”の話だった、ということがあった。

 

 私に弟分が何人か居るが、そのうちの一人であるやすし“が職をなくして仕事を

探していた時期があった。

 私の仕事を手伝わせたりしていたが、いつまでもそうしてはいられない。

何かいい仕事を見つけてやりたいと思った私は、知人に声を掛けまくっていた。

「おまえは、男にもてない」とよく母に言われ、

「何言ってんのよ、私んとこに来る男は山程居るわい」と見栄をきった。

 すると、母は「あー、みんな男に一本足りないようなのばっかりな、あんなの男って

いわねえべ」と言った。

悔しいが、所謂(いわゆる)男男した精力的な男は、私の所に来ないし、私もそういう

男は嫌いだ。

 集まってくるのは、みんな傷つきやすい優しすぎる男ばっかりだった(って今もだな)。

 

 で、「やすしの仕事を探しているんだけど、何かいい仕事はないか」とげんのしょうこに

話していた時のことだ。

「あのー、やすし君って何か弱いトコがあるの?」と、げんのしょうこが言った。

「えっ、弱いって?」

「生きる力っていうか、何か弱いトコがあるの?」

「えっ!?」

「仕事が欲しかったら自分で職安でもハローワークでも行ったらいいんじゃないの?

どうして、やすし君はそんなに麻子さんを頼っているの?」と言ったげんのしょうこは

本当に不思議そうだった。

 その時、気が付いた。

(あー、私は子供の時からお節介だと言われてきた。それが、どういうことだか分かった)

 私のお節介が、やすしを不甲斐ない人間にしている、と思った。

本人が、自分で動かなければならなかった。その為には自分の意思を持つ。

その意思を持つことさえも、その人本人が動かなければならないことだった。

 

私とげんのしょうこの生まれ育ちは対照的だ。

私は、両親と祖父母の下、始めての子供として生まれ妹が一人居る長女。

げんのしょうこは、男の子ばかりの末っ子として生まれたが、顔を覚えない頃に父親を

亡くした。

私が母親の過干渉と過保護の中で育ったのに対して、げんのしょうこは、放任というか

放ったらかしで何の束縛もなく育った。

私はB型の長女で、げんのしょうこはO型の末っ子。

性格は、私はケンカ上等タイプ。げんのしょうこは、争いごとは苦手というか大嫌い。

私がアーティストタイプなら、げんのしょうこは縁の下の力持ち下働きタイプ。

似ているのは、手柄じゃなくて自分の納得のいく仕事をしたいということ。マイペース。

だから、誰に認められなくても自分の思うように仕事がしたい。

そして、欲張りじゃないトコ。

二人とも何でも沢山はいらない。

幸せでも満足でもお金でも沢山あると苦しくなるし管理が大変だと思う。

花ならこぼれ種で小さく一厘咲いているのが好き。

 

げんのしょうこは、若い時から、女手一つで育ててくれた母親にもろくに相談せず

自分で仕事を見つけ、自分で決め、生きてきた。

彼女の子供たちも皆、自分で仕事を見つけ、自分で決めてきた。

 私は、親の特に母親が用意したレールの上を何の疑いもなく、時には文句を言いながら

当たり前のように歩いてきた。

 世の中から見たら恵まれた家庭と環境なのだろう。

そこで、やられて嫌なことも沢山あったがやってもらって当たり前で、だから、自分も

人の面倒を見るのが当たり前だと思い込んできた。

 それが、大事な人をミジメにしてきたんだと思った時、心底落ち込んだが、

自分のことよりやすしにそれまでの人たちに申し訳なかった。

 

 私は大事に思っている人をミジメにする傾向があった(今もあるかもしれないが)。

それが、何に由来しているのか分からないで来たのが、その時、答えが出た。

 本当に大事だったら、手を出さないことだった。

本人が、自分から動くまで知らん顔して待つことが私の仕事だった。

 

 困っている人を見たら助けなさいと教えられ、困っていたら気を利かせて先回りして

手助けすることが良いことだと思ってきた。

 でも、そうじゃない事もあるんだと気が付いた。

 

 私は、経営者として人を使ってきた。

そこで、自分が取り仕切り管理をしなければならないと思っていた時期があった。

 もらい物は均等に分け、誰もが満遍なく休めるように、何につけても不公平に

ならないようにと。

 でも、色んな人が居る。

その人たちを、自分の尺度とルールで考え取り仕切るのは無理だと気が付いた。

 私の考えが絶対に正しいかどうかも分からない。

基本になることはあるが、そこから先はそれぞれが考えて行ったらいいと思うように

なった。

 

 少しは、人の土俵に勝手に入らないようになったかなぁ。

        

あっ、やすしは仕事が見つかって、ちゃんと働いてるからご心配なく。

 

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