少年犯罪

 最近、何だか調子が出ず楽しいものが書けない。

こういうものを出すと悪い気がしてどうしようかな?と迷ったのだが、取り敢えず載せることにした。

面白くないから、気持ちの調子が悪い人は読まないで下さい。

 

 最近って、最近だけじゃなくずっと悲惨な事件が続いている。

少年(少女)による行き場のない事件。

 

 少年犯罪を語る時、その環境や生育歴と共に、少年の心を掘りさげていかなければなら

ないという。

 それは、少年犯罪に限らないと私は思う。

誰かと会って話しをした時に、その人の非人情なものを感じ、憤ることがある。

何故そうなんだ?!何故理解出来ない!理解しようとしないんだ!と、その人を切り捨て

た時に自分の心も捨てていたのかもしれない。と冷静になってから思う。

 何か腑に落ちないことの裏には、自分の理解と知識の範囲外のことがある。

 

 友人を滅多刺しにした少年は、幼い頃に母親に捨てられた。

「じゃあ」と、背中を向けてそのまま去っていった母親。

 友人と口論になり、「もういいよ!」と友人が背中を向け立ち去りそうになった時、少年

の記憶がとんだという。

気が付くとナイフを手にして、友人が血まみれで倒れていたという。

 

 自分勝手な教育(教育ではなくて詰め込み勉強)を押し付け、体罰で行う父親に対する

恐怖と反発から、自宅に放火し継母と二人の幼い兄弟を焼死させた少年がいる。

 彼の中にあった逃げ場のない閉塞感と絶望、恐怖、攻撃、逃避の気持ちは、本人にしか

分からないことなのかもしれない。

 

 最初の子供が、幼い頃に突然死をした人がいる。

その後二人の子を儲けたが、時々彼女は、おかしくなる。

子供が病気になると異常に過保護になったかと思うと、子供が自分の気に入らない行動

をしたといって人前でも我が子の首を絞めたりする。

 彼女の心の傷の深さは、きっと誰にも分からないのだろう。

でも、事情を知らない人は、彼女の行動に驚く。

 

 母親を殺し、切り落とした頭部を持って警察署に出頭した少年が居た。

部屋には、切られた母の手が白く塗られて置かれてあったという。

 そこに行き着いた、行き着くしかなかった彼の心は何処にあるのだろう。

 

 最近、社会的地位と発言権を持つ人と話す機会があった。

私は、その人に、人の身になって考える気持ちが感じられず親身でないと、憤りを覚えた。

 表面だけで人を見てはいけない。一部分だけで判断してはいけない。と思いつつ

自分の見えたこと感じたことだけで、総てを見切ったかのように判断している自分がいる。

 そのクセ、感受性が強くその人の気持ちに入り込むと鬱状態になる。

知ったかぶりをする人が嫌いなのに、自分がそうだと気付く。

 人は、人の心の総てを知り得ることは出来ないのに簡単に知ったつもりになる。

自分は知ってはいないのだという事を知りながら、それでも知ろうとする気持ちを持つ

ことが、本当の理解への第一歩のような気がする。

 

 知人は、歴史が好きだが、学校の勉強は嫌いだという。

何故かといったら、年号とその年に何があったかを覚えるだけで、どうしてそういうこと

が起きたのか、そうならざるを得なかった人間関係、時代背景にまで掘り下げて考える

ことがないからだという。

 そこで起きたことは、何故そうなったかを考えるための布石であると私は思う。

 

 今起きている事件は、今までに起きた事件は、何故そういうことが起きたかを考える

イケニエのような気がする。

 イケニエを無駄死にさせてはならない。と思う。

 

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