障子紙剥がし(ムカドン)

僕は、若い頃、運よくいいことに当たった人に腹が立つことがあった。

普段努力をしているように見えない友人が、絵や作文で賞を取った時とか

宝クジに当たったと聞いた時などだ。

しかし、人によってはその人の幸運を手放しで喜べたりする。

それは、その人が自分にとってどんな存在であるかということよりも、

その人がどういう生き方をしているかというところに深く関係していたと気が付いた。

そしてそれが、あんまりというか、殆ど気にならなくなってきている。

なぜなんだろうと思う。

若い頃にギャンブルで儲けた人の話を聞くとズルイと思った。

ギャンブルをする人というのは、話が大きい。

「この間はパチンコで五万儲かった、十万になった」

「競馬、競艇で大穴に当たって五万が百万になった」

などという話を聞くとまじめに働いているのが馬鹿らしくなったものだ。

それが、何時ごろからだろうか、その人は本当に運が良いのだろうか?と思うように

なった。

若しかしたら運が良かったことは、運が悪かったのではないか?と思うようになったのだ。

 

子供の頃、障子の張り替えをする前に剥がし方をやった。

障子のない僕の家ではなく、(おじいさんげ)で従弟と共に障子を一枚ずつもらい

誰が一番早く、綺麗に剥がせるかの競争をした。

僕も従弟たちも喜んで手当たりしだいに、障子紙を破り引き剥がし始めた。

その日ばかりは、障子に穴をあけても怒られることはないのだ。

思いっきりグーで穴をあけ障子のサンにあたって血を出したりしたが、そんなことに

かまってはいられない。なにしろ競争なんだから。

そんな目を血走らせ派手なパフォーマンスで障子紙を撒き散らす僕たちの横で

おばあさんが、静かに紙をむしりとり剥がしていた。

おばあさんは、端から障子の枠の一枚ずつを丁寧に取って、取り終わってから次に移って

いた。別に慌てる様子もなく静かで淡々とむしっていた。

僕は、いや僕たちは完全におばあさんよりは、早く終わると思っていた。

中盤に差し掛かり見比べてみると、僕たちの障子はもう向こうが殆ど見える位になって

いるのに比べておばあさんの障子は半分をこえた位だった。

僕たちは最初っからおばあさんなんて相手にしていなかった。

「よし!これからが勝負だ!」と鼻息荒く後半戦に入った。

ところが、それからが大変だったのだ。

小さな紙は取りづらい。

それでなくても根気がなく、面倒臭いことの大嫌いな僕たちが、何が嬉しくて二本の指で

ちまちまとプラプラしている紙をむしらねばならないのだろう。

それでも、しばらくはむしっていた。

でも、皆ブルーが入ってきた。

そして、僕のお決まりの台詞「あー、やんなっちゃったなー」が出た。

「ゆうちゃん、もう終わりにすっか?」一つ下のカズが言った時、

すかさずおばあさんの声がした。

「駄目だよ、やり始めたことは、最後までやんだ(やるんだ)」

いつも僕に甘いおばあさんであるが、駄目と言ったら駄目である。

(良かった)と僕は思った「やんなっちゃった」とは言ったが終わりにするとは言って

いない。

「いや、最後までやっぺ」年長者の面目で僕は言った。

三つ下のマサは何とか頑張ったが、五つ下のサブはあっという間に居なくなった。

仕方がないだろう、まだ小学校にも上がっていなかったのだから。

そして、おばあさんが、綺麗に剥がし終わっても僕たちの障子には白い小さな三角や

糸くずのような紙が付いていた。

その後何回かリベンジを試みたのだが、おばあさんに勝ったことはなかった。

最近になってそれを思い出したのだ。

僕は、その頃どうしても、バリバリ破った方が早いと思っていて、一つずつちゃんと

ケリをつけていった方が、最後には後始末がないので早く終わるということが、

理解出来なかった。

大きな派手な仕事よりも、後始末の方が時間や手間が掛かる。

ゆっくりでも、きちんとした仕事を重ねてきた者の所に、最後の勝利の女神は微笑む。

障子紙は大きいものより小さいものの方が面倒で取りづらいのだ。

パフォーマンスで大きい事をするよりも、一つ一つを丁寧にこなしていくことが、

先送りの宿題を作らないで生きることが出来るのだと気が付いた時に、

何故か自分が認めていない人の幸運に腹が立たなくなった。

後始末は自分に返ってくる。自分の生き方は、良くも悪くも自分に返る。

金や力を正しく使える基本が出来ていない人の所にそれが転がり込んできても、

それを生かすことは出来ないだろう。

 いや逆にそれに振り回されることになる。

僕は、僕のしたことを横取りされて腹を立てた事があるが、その横取りした人は

それを維持出来ず結局、信用を落とすこととなった。

ギャンブルで大儲けをしてしまった人は、カミサマに試練を与えられている。

そこでギャンブルを止めて地道な生き方を始めれば良いが、儲けたことで深みにはまる。

 

障子紙剥がしは、大きく剥がす面白いところだけをして、

細かい面倒な後始末を誰かにやらせるのは、子供でも許されない。

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