退学(やすし)

 小学校で退学させられた人が、いるだろうか?

あー、いたいた!「窓際のトットちゃん」は小学校で退学になったと書いてあった。

 やすしは、小学校の1年生で退学になったと自分で思っているという。

 

 小高い丘の上にあり、その周りを森と林に囲まれたS小学校にやすしが入学したのは

1970年代も中盤だった。

 世の中はロックとフォークの音楽が流れ、ヒッピーとビートルズはちょっと下火に

なってきていた。

やすしが小学校に入るとどうした訳か、四年生にして番長だという武が、やけに気に

掛けてくれるようになった。

武は魚屋の次男坊だ。

武の兄貴は、その辺りではちょっと名の知れたお兄さんで、父親は何度か警察に引っ張ら

れたことがある背中に描きモノがある人だ。

どうしてそういうことになったのか、やすしは思い出せないのだが、

武は「何かあったら俺んとこに言ってこい」と言って、度々一年生のやすしのクラスを

覗きに来た。

そして「こいつは俺の弟ぶんだ、手を出したりしたらタダじゃおかねえからな!」

何も分からない一年生たちを相手に武はすごんでみせた。

やすしはボーとした子供だったが、武のお陰でクラスの子は勿論、上級生も誰も苛めて

来ることはなかった。

 

ある日、「学校、面白くないなあ」とやすしが言うと

「んじゃ、帰っか?」と武は言い、武の仲間も引き連れて学校を後にした。

やすしと武達が急に居なくなって学校は大騒ぎになった。

学校から連絡があり、やすしは親から散々怒られたのだが、その後も昼飯を食べ終わる

と武に誘われ、学校を抜け出すようになった。

 武のクラスには、陰険な苛めをする光男がいた。

武は、親分風を吹かせはするが、弱いもの苛めはしない。

学校帰りに武と光男が、言い争いから取っ組み合いの喧嘩になった。

びっくりしたやすしが見守る中、身体は光男より大分小さい武が、根性と粘りで

優勢になり、とうとう光男を土手から突き落とした。

突き落としたといっても、低い緩やかな土手には春の草が生えていて、怪我はしそうに

なかった。

光男はズルズルと滑り落ち、そこに座り込んだ。

武は興奮状態から泣きそうになっていたが、

「今度、卑怯な真似をしたらタダじゃ置かないからな!」と怒鳴った。

そして、ズボンのチャックを下ろし

「やすしも根性だ、一緒にションベンかけろ!」と言った。

最初はただビックリしていたやすしだったが、途中から武の心意気がびんびんと伝わって

きていた。

「うん」とやすしもズボンを下ろした。

その子のずる賢さは、やすしも感じていた。

金持ちであることを鼻にかけて自慢をしたり、陰で弱いもの苛めをする癖に先生の前では

いい格好をするやつだった。

やすしは、武と一緒にその子の上からションベンをかけた。

そのことで光男の親が学校に乗り込んできて、大騒ぎになった。

武は自分一人でやったと言い張ったが、やすしは自分もやったと言った。

「学校始まって以来の事件だ」と先生は言い、やすしの母親は泣いた。

夏休みが始まる前に母親は、何度も学校に呼び出されていた。

だから、夏休みが始まるとやすしの両親はホッとした。

武とは一緒に遊んではいけないと言われたやすしは、近所の子供と遊ぶようになった。

やすしのクラスに育ちのゆっくりな女の子がいた。

名前が愛でクラスのマセガキ健也が「愛ちゃんは太郎の嫁になる」とからかい

太郎が怒り出した。太郎は健也を怒ればいいのに愛を苛めるようになった。

愛は女の子の仲間にも入れてもらえず黙って苛められている。

そんな愛をやすしは、かばった。

普通は女の子をかばったりしたら、かばった者が苛められるたり、からかわれることに

なるのだが、やすしの場合は武がいる、誰も何も言ってくることはこなかった。

 夏休みに入ったある日、何時もの原っぱに行くと愛が一人で遊んでいた。

子供が遊ぶ場所は土が固まっているが、その周りは夏草が青々と伸びていた。

あまりの暑さに仲間は家から出てこないのか、それとも宿題でもさせられているのか…。

やすしも涼しい何処かに行こうとしたその時、

「やすしクン、アイスたべたい?」と愛が聞いてきた。

「う、アイス?」

「うん」

「そりゃ食べたいよ」

愛はポケットから十円玉を二つ出した。

首をかしげてゆっくりと歩く愛の後について、やすしはすぐ近くの駄菓子屋に行った。

やすしにとって、アイスは魅力的だった。

木の棒に四角に固まった白いかたまりは、額に流れる汗に涼しい風を吹かせた。

その上、その日のアイスの棒には、アタリがついていた。

「愛ちゃんアリガトな」とやすしはご機嫌で家に帰った。

 

 何日かしてやすしは、道路で愛とばったりと出会った。

ニッと笑って通り過ぎようとすると

「やすしクン、アイスたべたい?」とゆっくりと愛が言った。

「うっ、そりゃ食べたいよ」

そして、また愛の後について駄菓子屋に行きアイスをご馳走になった。

 何度かそういうことがあり、ある日、やすしはどうしようもなく喉が渇いていた。

仲間と鬼ごっこをして帰るところだった。

愛の家の近くで、愛に出会った。

愛は、ニコニコしてやすしの傍に来た。

「愛ちゃん、俺、喉渇いちゃって、水飲ましてくんねえかな?」とやすしは言った。

「うん」と愛は言うと家の中に入って行った。

やすしは、愛が水を持ってきてくれるのだとばかり思っていたが、愛は何も持たずに

家から出て来た。

そして「やすしクン、アイスたべたい?」と何時もの台詞だ。

「うっ、そりゃあ」と言ったところで愛の祖母が、家の中から出て来た。

「お前は、うちの愛に何、悪知恵仕込んでんだ!」と祖母はやすしに怒鳴った。

祖母は、愛が最近になって、ちょくちょく家の中の小銭を持ち出していることに気づいて

いたのだ。

「お前が、愛に金持って来いって言ったのか!?」と祖母は、更に怒鳴った。

「違うよ!」とやすしは言ったが、愛はその場の状況が飲み込めず

「やすしクン、アイスたべたいの?」と言った。

やすしは、うまく説明することが出来ず、愛の祖母はやすしの家に持ち込んでいった。

やすしの両親は、やすしの話を理解したが、もうここでは駄目だと思った。

そして、何年か後に親の土地をもらって家を建てることになっていたのを、急きょ新築し

て引越すことに決めた。

 夏休みが終わって学校が始まり、冬休みが来る前に、新しく出来た家の近くの学校に

やすしは転校した。

 やすしの親は、「新しい家に引っ越ししたから、転校したんだ」とやすしに言ったが、

やすしは、前の学校は退学させられたんだと思った。

 

 あれから三十年も経ったが、やすしは弱いもの苛めはしない主義だ。

盗みやズルイことには、手を出さない、関わらない。と決めている。

誤解は何時か解ける。もし解けなかったとしてもいい、神様が知ってる。

それだけでいいと思っている。

神様と自分に恥じない生き方をすれば、それだけでいいとやすしは思っている。

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