辰ちゃんと花ちゃんと大祭礼 

                 プロローグ(1)

 2003年春、仲良くなってフザケテた私が第一秘書を任命した花ちゃんが来た。

私は依存と恩着せの関わりが大嫌いだ。

彼女は私にとって、それを理解する知性を持ちながら情を知る安心出来る人だ。

彼女には、秘書になってもらったんでもなければ、してあげたのでもない。

 2年前(2001年の春)に私の何かが変わって、それを転機に娘が家に戻った。

それを知った人たちがよく言うセリフは

 「娘さん、帰ってきてくれてよかったわね」

 (ハアーー?)と私は思う。

私はどんなに大変なことになっていた時も、帰ってきてくれとは言わなかった。

彼女が、彼女の意志でもって帰ってきたのだ。

娘も一度として「帰ってきてあげた」とは言っていない。

それが、やせ我慢であっても私の誇りだ。

すると、

 「あなたも面倒くさい人ね。娘さんが帰ってきて、ホッとしたでしょ! 嬉しんでしょ!」

と言われる。

ああ、そーだよ、娘が帰って来てほっとし、今現在身近に娘が居ることで安心している。

そして一緒にいろいろできることを喜んでいる。それは事実だ。

しかし、それを頼んだことは、一度もないし、彼女が恩を売ることもない。

私はそれぞれが自分のやりたいようにして、それがお互いに満足する形で収まることが

一番だと思っている。

すべてのことが、誰かに媚びたり、頼んだり、可哀想だからやってやるなどという形で

行われることに我慢ならない。

もし、私のしたことが、誰かの助けになることがあったとても、それは私がやりたいから

勝手にやっただけのことなので、恩に着る必要もなければ、私のやったことが、

その人にとって、不本意な結果になったとしても、それは、その人が選んだ、

或いは、断らずに受け入れたということに於いて、その人の責任として自分で背負うべきだ

と思う。

 花ちゃんに秘書をして欲しいと私は思い、花ちゃんは、やりたいと言った。

そして、その頃の私にとって、花ちゃんは有能な必要欠くべからずカウンセラーとなった。

                 プロローグ(2)

 その日(大祭礼)が近づくにつれ、大祭礼の話で騒がしくなっていった。

大祭礼のある年は、嫁婿取りや家を建てるなどしてはいけないんだとか、

その年は争い事が起きる、良くないことがあるなどの話が耳に入ってきた。

それまで、お祭りにさほど関心を持っていなかった私だが、そういった話にどういう意味

があるのだろうと、ちょっと興味を感じ始めた。

 

 夫が天下野(けがの)出身で、夫の兄が体調を崩しながらも山道を切り開く手伝いに

かり出されたいたり、衣装の準備に追われているという話は大分前から聞いていた。

大祭礼は大変だということは、何年も前から言われていたことだが、何が大変なのか?

寄付なのか、労力なのか、もちろんそれと、その他にも何かあるのだろうか‥? 

大祭礼の時期には何かが起きるとも聞いた。

何かとはなんだろうか?

 私の実家が太田で、母の兄が馬場八幡宮の氏子総代をすると言う。妹が水木に嫁いでいる。

(水木浜)でどういう様子でそれ(神儀)が行われたかは、この騒ぎの静まった頃に、

聞いてみることにして、これは私の浅い知識と見解によってまとめた大祭礼である。

 

 それまで、大体がお祭りって奴は、何を意味しているのか、よく分からないでいた。

ただ山車が出て、神輿を担ぐ。

「ワッショイ、ワッショイ、景気をつけろ、塩まいておくれ、ワッショイ、ワッショイ、

ワッショイ、ワッショイ、そーれ、それそれ、おまつりだ〜〜」ってなもんだと思っていた

ら、これは、神儀だから、そういうお祭りとは違うんだという。

普通のお祭りのつもりでいると、なんだか、ゆっくり静静と、面白くないという。

う〜ん、そうか、そりゃそうだな、神様をお運びしているのだから、大切に、静かに行かね

ばならないだろう‥‥。

                 プロローグ(3)

 その年の冬は寒さが長かった。例年より花の開花が遅い。

ようやく、ここ2,3日暖かくなって、我が家の庭に、一斉に淡い、ピンクの暖地サクランボ

の花が綻んだ日であった。

テレビも新聞も、アメリカとイラクの戦争について連日伝える中、大祭礼が行われていた。

 それは3月22日から始まり、あと3日で終わるという前日のことだった。

第一秘書に勝手に任命した花ちゃんが、私の書きなぐったものをパソコンに打ち込む

という名目で隔週金曜日、おしゃべりに来ている。

 その花ちゃんに、私は今までの人にない面白いものを感じていたことは冒頭で書いた。

私は面白いものとしか付き合わないことに決めた。

私にとって、面白い人(もの)とは、損得抜きで、何かをする奴。

自分のやりたい事、興味のある事を持っている、とにかく、自分で面白いことを見つけて

自分が楽しんでいる奴だってことだなあ。

でも、大人であることが、大事だね。

ことの良し悪しを知っていて、分を弁えている、人の領域に入らず、自分で楽しむ術を

知っていて、こっちがいちいち面倒を見なくてもいいってのは重要なポイントだ。

面白くっても、大人になってない奴は、面倒みなければなんないし、甘えて迷惑を掛けて

くるから、いやだね。

私は、人の面倒みるのは、まさに面倒臭いから嫌だ。

あとは、リスペクト、尊敬、相手を認める気持ちを持ってる人であること。

それが好きな人や都合のいいモノに対してだけでなく、全てのモノに持ってる人でないと

付き合っていて必ずボロが出る。

 必ず話が横道に逸れてくのが私のクセだ。

要するにその花ちゃんから大祭礼に誘われて大祭礼を見に行ったということだ。

 

            第一章 大祭礼、私の(思い込み的)解釈

 その日の花ちゃんとの話しは、今、茨城で72年ぶりに行われている大祭礼の事だった。

 花 「ところで、大祭礼ってのは一体、どういうことよ?」 ここで、人差し指を出して

手のひらをひっくり返すのが彼女の癖だ。

 このところ、そのことについて考えていた私としては、待ってましたの質問である。

「それは、私が思うにだね」と、身を乗り出した。

 

 従兄弟のHちゃんが、「わかりやすい大祭礼」って奴をまとめて、2千部作ったといって、1部持ってきてくれたのが、2週間ほど前のことだ。

彼と話している最中に、また、私の中で勝手に、「あ、そうか」が、湧き出してきたのだ。

これは、私の勝手な思い込みであるからして、若しかして、大祭礼の趣旨から外れている

或いは、反しているかもしれないことを、前置きした上での話である。

 「あ、そうか!」 そう思ったきっかけは、はじめちゃんの言った「一陽来復」の一言

であった。陰陽五行であった。

 道には分岐点がある。山には上りがあり、下りがある。生まれて、死がある。

右があり左がある。黒があり白がある。

 道は必ずしも2つに分かれているわけではない。

しかし、目の前に在る道は常に2つであるような気がする。

それをやるか、やらないか。(あえてやらないことも、やることに属する)と私は思う。

そのとき 老子の道(タオ)の一節を思い出していた。

プラスはマイナスを大きく含み、マイナスはプラスを孕みながら進む。

窪みには自然と水が溜まる。人は背に陰を、胸に陽を持って、和へ向かい進む。

 

 山は登ることがいいことなのか、若いことはいい事で、老いることは悪い事なのか、生は良いことで、死は悪い事なのか‥

 時の流れは大きくうねり、進んでいく。決して後戻りはしない。

いつも初めての経験で、慣れることなく進んでいく。

いつでも常に、今の一瞬が大切なのだ。精一杯考えて、今、自分が納得できる道を進む。

自分が出来る事は、何を選ぶか、そして、それをやるか、やらないか、やらないことを

選択することもやらないことをやっているのだ。

そして、その結果が、出来るか、出来ないかは、神の領域だ。

そこまで心を配る必要はない。なるようになっていく。

  

 天中殺について、以前聞いた解釈は、天中殺は悪い事が起きるといわれ、或いは、

何か(結婚や、家を建てる)など、大きな事をすると、それは、失敗に繋がるときいた。

 大祭礼のときも同じことが言われていた。

しかし、私が思うに、本当は、今までしてきた事が、隠れていた事が、現れる時なだけ

ではないかと思う。

そのことを怖いと思うかどうかは、その人本人のそれまでの生き方ではないだろうか。

失敗があったとしても、精一杯、それしかないという道を選んで生きてきたのであったら、

もうこれ以外に道はなかったと思えたら怖いものはないと思う。

 

 天中殺が人間個人のそれであるとしたら、大祭礼は人間界のそれであろうと私は思った。

 

 72年水面下に隠れていたものが、顔を現すときであるとしたら、大祭礼は争いごとが

起き、良くないことの起きる年であるというのは、因果応報、自業自得の部分もあろう。

 2003年(平成15年)  アメリカとイラクの戦争

 1931年(昭和6年)   日露戦争  満州事変

 1859年(安政6年  ペリーが開国要求で大阪湾に黒船で入港(1853年)から

          桜田門事件(1860年)にかけて地震、雷、火事、コレラ発生

 1787年(安永8年) 寛政改革 天明の飢饉はますます悪化する

 

            第二章 花ちゃんに誘われる

 大祭礼で、西金砂神社と東金砂神社より、神霊が72年に一度、水木浜へ渡御する。

 何しに行かれるのか‥?

 

 西金砂神社に立つ祭事の案内には

「浜振りまつりを厳修して潮水行事と称し水木浜の清い潮水をもって神体を清め神の心を

慰め五穀豊穣を祈り、民心の安定と同時に社会平和を祈願する」とある。

 

 神はサイコロを振らない、と言ったのはアインシュタインだったか‥。

自分達で争い事を起こし、やりたい放題で、困り果てたときだけ、神に「非情です」と

泣きつく、そんな人間どもの諸行に疲れた神の心を慰めるために、水木浜の潮水で神体を

清めることを目的としているのか。

3月22日より6泊7日往復75km、約500優余名の行列が2市3町村を練り歩き、

その所々で田楽を行っていくのだと知った時、

私は(なーんだ、「千と千尋の神隠し」ではないか)と思ってしまった。

人間界を守る神々が、その疲れと、穢(けが)れを流しに湯屋へやってくる。

 申し訳ありません、いつまでたっても、馬鹿な人間です。

 折りしも、3月23日、第75回米アカデミー長編アニメ賞が「千と千尋の神隠し」に

授与されていた。

そんな、私の勝手な言い草を聞いていた花ちゃんが、「それで、田楽は見に行った?」と

聞いてきた。

「ううん、行ってないよ」

「一度位、見ておかない? 明日、すっちゃん(花ちゃんの夫)と行こうって話になって

るんだけど、行く気ある?あるなら、私んちに車を置いて、一緒に歩いて行こうよ」

「えー、何時に行けばいいの?」

「6時」

「エー!朝の?」

「そりゃそうよ。でも、ホント、一度実物を見るってのも、いいんじゃないの。何しろ、

72年に1回なんだからね」花ちゃんがいたずらっぽく笑いながら言った。

「う〜ん、わかった」

これは快挙である。

出不精で優柔不断、面倒臭がり屋の極致である私が早起きして出掛ける気になったのだ。

そして、私の中で一度見てみたいという気持ちがどんどん膨らんでいき、夜布団に入る

頃には、翌日3月29日、上河合祭場で行われる祭典と田楽への期待でいっぱいになってい

た。

 不謹慎だが、ゴルフの前日に何だか楽しみなのと、朝起きられるだろうかと不安なので、夜中に何度も目覚めるのと同じ感覚で、その夜は1・2時間毎に目を覚ました。

 なのに午前4時頃にはスッキリと目が覚め、5時に起きた。

排便も済み、洗髪もし、花ちゃんの家に「行くよ」と電話を入れた。

6時30分に家を出る。

 少しゆっくりした気持ちになって、早めに花ちゃんの家に着いた。

こんなに早起きしたのは、いつ以来だろうか、と考えたが、思い出せない。

駐車場の前の大木の横に、梅の木が何本かあって、曇り空の下、白い花が咲いている。

軽トラックから降りて、香りを嗅ぐと、透明な清潔なものが胸を満たした。

 空を仰いでいると花ちゃんに呼ばれた。

家に入る。

花ちゃんと旦那のすっちゃんと、3人で行くのかと思っていたら、娘の空ちゃんも一緒に

行くと眠そうな顔でいた。「ヨッ!」と挨拶する。初対面だ。

河合祭場、幸久小学校までの2、3キロの道のりを歩き始めると、

もう既に道の横に車が止め置かれ、人々が際場へ向かって歩いている。

 

 すっちゃんは、一時期円形脱毛が進み、その時きれいに剃髪したが、それ以来スキン

ヘッドを続けている人だ。私は花ちゃん同様、彼にも面白さと興味を感じている。

 歩きながら、花ちゃんが、何度か話題にする「ぼのぼの」(漫画)の話を始めた。

「ぼのぼのは、ラッコなんだけど、食べ物がなくなったらどうしようっていう危機感を

いつも持っていて、そういう時のために、非常食を持っているんだけど、心配の余り、

お腹が空いてなくても、お腹が空いたらどうしようって思って、それを食べてしまうって

話があるんだけど、どう思う、そういう事ってない?」と聞いてきた。

「うーん、分かる気はするけど、不安ってのは、自分が作り出すもんで、持った瞬間から

存在し始めて、持たなければ無いに等しい気がする。・‥」2年前の恐怖を思いながら

私は問題を出すことにした。

「そうだ、問題を出します。山で、うーん、海でもいいや。遭難しました。

少し食料を持っています。あなたはどうしますか。3択で答えてください

@何日かに分けて計画的に食する。

Aなるべく食べないで、いざという時(どうしても我慢できなくなった時)のために

とって置く。

B食べるだけ食べて元気を出して、助かる道を捜す。

さあ、何番でしょう」

私は、すっちゃんの答えに興味があったが、彼はなかなかこの3つの中から選ぼうとしな

い。ははーん、私と同じで、決められた答えは嫌なようだ。

空ちゃんは、私たちの会話に興味を持ったようで最初は遠慮していたが、話の中に入り

始めた。

私の答えは、心配で胸がいっぱいで何も食べられなくなるだろうまでは分かるが、

そこを通りこしてそれから、どうなるか、どうするかは自分のことなのに見当が付かない。

そんな話をしながら、橋を渡っていると細かい雨が降ってきた。

 大祭礼の大行列を見た神様が感激して涙を流し、その時は、必ず大雨が降るとか。

大祭礼の初日も大雨であった。

東金砂山は、古来より常陸の国一帯に雨を降らせていると言い伝えられているというが、

雨は大して降りもせず止んだ。

 神様が、感涙とまで行かないことが幸いである。

 

            第三章 トイレに行く空ちゃんを先導する

 祭場へと続く道は、もう既に、人並み(波)が、ドブーンと押し寄せていた。

そして、交通整理をする、おまわりさんが、いくら横断歩道を渡るように注意しても、

車の間を横断する人が、後を絶たないでいる。

神様を見に行くという行為とキマリを無視する行為が、何の矛盾もなくそこにある。

 幸久小学校の校庭は、8時開祭の1時間前であるにもかかわらず、もう半分ほども埋め

尽くされていて、舞台さえも近くで見ることは出来ない。

後日母から聞いた話によると、舞台の前には敷物が敷かれ、最初からそこに座って待って

いたということである。因みに母は、6時にはそこに着いていたそうだ。

 

 人々の立ち並ぶ後に立って待つことにしたが、少しすると、空ちゃんがトイレに行き

たくなった。校庭の隅のコンクリートの建物が屋外トイレかと思ったが、違っていた。

不安そうな空ちゃんを、常に腹が痛くなる不安を抱え持つ私としては、捨てては置けない。

「よし、一緒に捜してやる!」と、もう既に動きの取れなくなった人込みの中へと乗り

出した。

空ちゃんは、性格からか、若さからか、人込みを掻き分け、前へ進むことが苦手のようだ。

白い、柔らかい、15歳の指を握り先導する。

「済みません。失礼します!!」「ありがとうございまーす」。大きい声で礼を尽くせば、

道を開けない人はいない。縄で仕切られた道も、トイレに向かう人だけは通してくれた。

 仮設トイレは20余り。そこに長蛇の列が並ぶ。

「並んで待てるか?」と聞くと「大丈夫です」と言うが、なにやら心もとない声だ。

 少しの間傍に立っていたが、他の人の迷惑になるのでは、と思い、

「向こうで待っているけど、何かあったら、大きな声で、オーイッて言いな。

そしたら直ぐに来るから」と言い残し、フェンスの前で待つ。

彼女の足元がぬかるんでいたのが気になって、5分もしないで、又、彼女の所へ戻る。

「大丈夫か? 顔色悪いよ、我慢できなかったら、前の人に頼んであげるよ」と言う。

元々白い彼女の顔が、更に白くなっていた。

「大丈夫です」

「本当に大丈夫? 順番抜かされるんじゃないよ! 何かあったら呼びな!」と言いおいて

又、フェンスの所へ戻る。

 

 小学校に桜の木はなぜ定番なのだろう? 新しく植えられた若い桜が、まだその蕾も固く、

添え木をつけて立っている。

 人々は皆一様に舞台の周りに固まっているが、その塊からはぐれたような人達が、

パラパラと、群れから外れている。

花ちゃん達と、一緒に来なければ、自分は、ここに位置しているなと思う。

  いかにも、飲み屋を経営してますといった風情の太った男女が、私の後方にいた。

女は赤い髪を大きく膨らませ、ガテマラの衣装のような、きれいな色の服を着ていた。

 やせた75歳位のじいさんが来た。

人の塊の周りをウロウロしていたが、急に若い桜の木に登り始めた。

泥のついた黒い長靴で、下の方に出ている蕾のついた枝をバリバリと折りながら‥。

更に添え木にも足を掛け、それを蹴って上ったものだから、添え木はグンニャリと、

倒れて斜めになってしまった。それでも登り、地上150cm位の枝が3つに分かれてい

る所に座って落ち着いた様子は、サルだった。

 後ろに立つ男女は、私と一緒にそれを見ていた。

「あれあれ、あんな事して、今日が、何の日だか、分かんないのかね」

「あーあ、あんな事して、罰があたるわ」

「桜も、いい迷惑だな」

「でも、あの年で大したもんだね」

「あー、大したじいさんだ」

「あの年で、あそこまでやれるんだから」

「でも、まだ始まるまでに1時間近くもあるのに、あの格好で、待ってられっかな?」

「全く!ただ立ってるだけだって大変なのに、もたねえと思うよ」

「いや、わかんねえべ。あれだけの事やる人だもの」

 2人の会話は、そのまま私の気持ちだった。

もう少し事の成り行きを見ていたかったが、空ちゃんが心配で、又、トイレに戻る。

トイレは目と鼻の先なのだが、人の群れの中で直ぐに見つからない。

 それにしても、神儀が行われるというのに、そこへ集う人間たちは、困ったもんだと

自分は省みずに思う。

スピーカーでは「スリが多発しております。持ち物には充分お気を付け下さい」と繰り返

し放送される。

 あれ?空ちゃんが並んでいる所に居ない、と思ったら、仮設トイレのジュラルミンの

ドアから、出てくるところだった。

「どうしたの?」

「もう、あんまり我慢し過ぎちゃって、気持ち悪くなってきちゃったら、

前のおばさんが先頭の人に話して、先に入れてくれたの」

良かったねと、礼を言ってその場を離れた。

大でも小でも排泄を我慢する辛さはどうしようもない。

確か古事記にそういう我慢比べの話があった。

  

         第四章 「はい、座ってみましょう」と仕切りたい!!

 人、人、人を掻き分けて、戻ろうとしたが、私達が居た所の後ろに、更にたくさんの

人が並んでいた。

諦めて「ここでいいか」と言った途端に、人と人の間に、花ちゃんが見えた。

「花ちゃーん」と呼びながら分け入れてもらい、やっと辿り着いた。

すると、何とすっちゃんは、イラク戦争反対のデモに参加するとかで、もうそこには

いなくなっていた、何のためにここまで歩いて来たのか、やっぱり、すっちゃんは面白い。

「もう、そろそろ始まるかなぁ?

「いや、今、隣の神社で何かやってるみたいだから、もう少しじゃない?

「あっちに、面白いじいさまがいたよ」と、今見てきたことを早速話すと、花ちゃんが、

「私も、面白い話聞いたよ」と言う。

「なに なに?」と私はウヒョ目になる。

「後ろのほうに、車椅子のおばあさんが居るでしょう。あのおばあちゃんが話してたのね。

ワタシは有難いことに、この大祭礼を2回見ることが出来たんだよって。

だけど、1回目はまだ学校に上がったばっかりの頃で、何だかよく分かんなかったんだって、

そして、今回2回目を見られる事になったんだけど、頭がその頃に戻っちゃってて、

結局、又、何だかよく分かんなくて見てるんだって‥」

「すごい、傑作!」

「でも、大祭礼を2回見られるなんて、スゴイことだよね」

「そうだよね。大体が72年以上生きてるって事と、両方の間に生きてるって事と、

足を運んだって事と、いろんな条件と、自分の意志と両方揃わなくっちゃ、有り得ないん

だもんね。ところで、あそこで、何をやるわけ?」

たくさんの資料と、新聞の切抜きを集めながらも、殆どまだ目を通してない私は、

マヌケな質問をする。

 

 その時、私達の話に興味を持っている波動を送ってきた斜め前の彼が、こちらを振り

向いた。目が合った。ニッと笑いかけると「あれはですね‥」と説明を始めた。

その一言で、相当詳しい人だと見抜いたね。

 あまり大きな声で、マヌケな質問をするのは何だし、かといってこの人は、私が聞きた

いこと、知りたいことを、教えてくれると思った。

「風流」が何たらで、「地固め」で、舞台の四方に立っている竹が、山の神が天から田へ

降りてくる目印で、「四方拝」がどうとか、こうとか‥ 

「あー、よく話を聞きたいなぁ」と思う。

そして、肝心の田楽はといえば

 舞台が高い所へ設けられているのに、殆ど、人の頭だけしか見えず、思わず

「見えなくて、首を伸ばして、ますますみんなで見えなくしているんだから、舞台を高く

するために、みんなが座ればいいんだよ」と大きな声で言った。

 皆同じ思いでいたらしく、右側の前方から、座る波が押し寄せてきた。

しかし、立っているより、座った方が、面積を必要とする。

皆、少しずつ後ろに下がりながら、座っていく中で、左側の中央の一部の人たちだけが

座らなないでいた。その後ろの人たちは、既に座っている。

 私達は、「みっともないね、自分達さえ良ければ、それでいいって感じだね」と言い

ながらそれを見ていた。

すると、後方から「何考えてんだ、スワレ!」という声が出始め、

そのうち「スワレ!コノヤロー」という怒号となっていった。

その頃になってようやく、左中央の人たちは座ろうと始めたのだが、周りが座ってしまっ

ているので後ろに下れず、面積を取れないので、座りたくても座れない状態になっていた。

 それでも怒鳴り声は続く。周りの人たちは動かない、動けない。

しかし、どうにかこうにか、全員が腰を下ろした。

 「やれば、やれるもんだね」と、どうなることかと見ていた私たちは感心した。

 ところが、間もなく座っていた膝が痛くなってきた。

小学校のグランドにぎっしりの人、冷たい地面、まだ始まらない田楽。

痛くなった膝を伸ばすために人の尻が、目の前に上がったり下がったりする。

音の割れた聞き取り難いアナウンスが、

「込み合っております。ご協力をお願いします」と「スリが多発しております」を繰り返す。

なぜ具体的に解かり易く、説明と、お願いをしないかと言い出す私。

「 あのさー、(みんなが気持ち良く、よく見える為に座って見学しましょう。

でも、ずっと座っていると、足が、疲れますので、みんなで一度座る練習をして、

はい! それから、立って待っていて下さい。)ってアナウンスして、

そして、始まる直前になったら、もう一度座ってもらえばいいんだよ」と私が言うと、

「あなたがやればいいのにね」と花ちゃんが言う。

「そーなんだ。どこへいっても、仕切りたくなっちゃうんだ。あーやりたい。」と私。

 

         第五章 辰年生まれの辰ちゃんを山小屋へ誘う

 ようやく、田楽が始まり、袖を羽のように広げた2人の巫女(みこ)がしめ縄の中に

蝶のように現れた。が、何せ、遠い。何をやっているのか、よく見えない、解からない。

すると、斜め前の彼が、「ここでは、雰囲気を味わって、後で、ビデオか何かでも、

詳しく見たらいいですよ」と言ってきた。

 もう1人、話に加わりたそうな人が花ちゃんの隣にもいた。

その人が、手に持っている資料を見せてくれたが、Hちゃんの持ってきてくれた

「よくわかる、金砂大祭礼」である。

「あ、それ、私持ってる。私のいとこが作ったんだ」と言うと、

何と、その彼は、Hちゃんの同級生であった。たった2千部しか作らなかったそれを持参し

いとこの知り合いであるとは、なんて面白いんだろうと嬉しくなる。

 

 よく見えないので飽きてきた。

斜め前の彼、辰ちゃんは名古屋から、夜行列車で今朝水戸に着き、ここへ直行して来た

と言う。

財団法人に身を置き、お祭大好きで、交通費のみの出張でここに来たのだと言う。

 もっと話を聞きたくなった私は、「私の家に面白いものがあるから、来ないか」と誘った。

辰ちゃんは、ちょっとびっくりしたようだが、快諾。

Hちゃんの友人も一応誘ったが、これから、葬式があるので、行けないという。

 

田楽は、思ったより早く終わり、花ちゃんと空ちゃんにバイバイして、辰年生まれの

辰ちゃん(私より2つ上)と、花ちゃんの家へと歩く。

中学時代の友人の家が、河合の橋の手前に在る。

その横を突っ切って、水仙の花咲く土手を登る。懐かしい。

辰ちゃんは梅の古木が板塀より顔を覗かせている、由緒有り気な家がいたく気に入り、

板塀の上にカメラを差し上げて、2,3枚撮っていた(ナイショ)。

 私の愛車、直角ロールスロイス(軽トラック)に乗り、帰宅する。

山小屋で、秘蔵の本(50年前の国際文化画報、画報現代史、近代三百年史1550-1850

近代百年史1850-1950、など100冊以上)を見せながら、祭について話す。

 

 やっぱり辰ちゃんは当たりだった。面白い。

 私が穢れ(気枯れ)祓いについてや、日本における神の認識についてなど、私流の独断と

自己流の解釈によるデタラメ話をすると、名古屋に「はだか祭」というお祭があるという。

日中は、フンドシ姿の神男が、人々の穢れを背負ってくれるという事で、石をぶつけられ

たりするらしいが、それは、見せる部分(風流になるのだろうか)であって、

本当の、といっていいかどうか分からないが、いわゆる「祭儀」の部分は非公開であり、

夜中2時頃に、一糸纏わぬ神男が、餅を背負って境内を走り、落とした餅が穢れを吸い

取ってくれていて、地面に埋めるのだという。

 今回の大祭礼も水木浜での「祭儀」は夜中、全く暗黙の裡に行われた、と漏れ聞いた。

京都での祭儀に某テレビ局が入り、大変な騒ぎになった事があると、辰ちゃんが言う。

「御葦(みよし)流し」といって、葦(あし)を1年間奉納し、その表面が黒ずむのを

人の穢れを吸い取ってくれたといって、津島川へ流す祭があると教えてくれた。

葦(あし)を(よし)と言う。よしずがそうだ。

 好字化には、私も興味がある。あしは悪しきに通じるといって、よしとしたり、

なしをありの実、終わりをお開き、切るを入れる、最後を結び、おからを卯の花、

するめをあたり目とする、など結婚式でよく行われる縁起の悪い言葉の言い換えは数え

切れないほどある。

 それは、言霊の信仰に通じているのだと思う。

はじめに言葉ありきと、聖書に在り、

釈迦は八正道(正しく見、正しく思い、正しく語り、正しく仕事をし、正しく生活し、

正しく道に精進をし、正しく念じ、正しく定に入る)を説く。

正しく語るんだ。

ヨーガでは、念定慧という。

念じて、定には入り、天より慧をいただく。おっと私の専売特許だ、話が逸れていくぞ。

兎に角、呼び方や読み方を変えることによって縁起を良くする習慣は古くからあり、

音の波動による力は善きにつけ悪しきにつけある。

っその日カメラを持参せず、それでも写真が欲しいと思っていると、写真のネガの落し物が

在った。それが、どうも大祭礼のネガらしい。でも誰のものであるか、分からない。

現像してみれば、手がかりがあるかも知れぬと、現像してくることにした。

すると、辰ちゃんも欲しいと言うので、2枚ずつプリントして2人で分けた(へっへ)。

 何て運がいいんでしょ。

 昼にホカ弁を買ってきて、一緒に食べ、もうそろそろ帰るというところに、

テニス帰りの花ちゃんが来た。そして、辰ちゃんを駅まで送ってくれたのだった。

面白かった。

 「辰ちゃん、あんたは面白いね」と言ったら、

「いや、僕は平凡で面白くない男です」と答えた。

面白いという言葉は、天照大神(あまてらすおおみかみ)が、

弟の須佐之男命(すさのおのみこと)の暴虐無尽の振る舞いに怒り悲しみ、

天の岩戸に隠れてしまい、この世が闇に包まれたとき。

もう一度この世に現れてくれと、その前で楽器を鳴らし、

(面て)を白く塗った天宇受売命(あめのうずめのみこと)が踊り、

神々も手を打って笑い騒いだ。

その騒ぎに興味を引かれた天照大神が、好奇心を抑えきれず、

天の岩戸を、ちょっと開け覗いた、その隙に岩に手をかけ、天の岩戸を開ける事が出来、

この世に光を取り戻す事が出来たとのだという話(古事記)のそれから、

面白いと言う言葉が出来たのだという。

 

 辰ちゃんは面白いよ。

私の面白いと思う定義は、又言うけどさ、損得抜きで楽しむことを持っている、

楽しんでいる人なんだ。

そして、なにかを突き抜けた、突き抜けようとしている人のような気がする。

 

 花ちゃんの娘が、私のことを

「あの人って、いつもあんな風に、面白そうなことが在ると、自分からズンズン切り開いて

いく人なの? なんか、面白いことは自分の力で物にするって感じの人だよね」と言って

いたとか。

 

 それではこれにて、ひとまず結びとしますが、ここで本当に語りたかった話については

次回の「とことん独断と偏見による大祭礼考」をお読み下さい。

 

tatuhana.htm へのリンク