頼る

 

どうも私は、しっかりしているように見えるらしい。

頭が良くて、しっかりしていて、頼りになるように見えるらしい。

 しかし、実際の私とは大きなギャップがある。

そんな私の最近の実態の話をしよう。

 

家の前の道路に車が停まった。

「あのぉ、家を教えてもらいたいんですが」と70代の女性が身を乗り出して聞いてきた。

何故か私は道を聞かれたり、助けを求められたり、話し掛けられることが多い。

それは、スーパー、薬屋であったり、電車の中だったり、道路の草引き花植え中に突然

車が停まって

「今から処分しに行く女房の形見の箪笥を貰ってくれませんか」と言われたこともあった。

私のハチャメチャな感じを知ってる人ならともかく、私の何たるかを知らないであろう

人が、声を掛けて来なさる。

まぁ、道聞きや家を聞かれるのはそう不思議なことではないが、その車は道の端に寄

らず、斜めに停まっていて横を走る車の人が嫌な顔をしているし、危ない。

「取り敢えず、ウチの駐車場に入ったら?」と私は言った。

その人は、住所と電話番号が書いてある名刺を持っていた。

「あ、カンタン、カンタン、カーナビで調べてあげるよ」と、私は車のカギを取りに家に

入った。

娘が居て「何?」と聞いてきた。

「道聞き、家の場所教えるの、住宅地図探すよりカーナビの方が早いから」と言うと

「お母さん、それより携帯で調べて印刷してあげるよ」と言ったが、

「いや、大丈夫。カーナビで出してみる」

「そう?」

 方向音痴、機械音痴なクセに自分でやりたい私。

 

 そして、二人で車に乗り込みカーナビの住所案内を出す。

住所では、そこから1キロ位の所で二つ信号を渡り、次の信号を左折して線路を超えて

すぐの小道を右折した先にあった。

行き方の説明をすると、その人は一人で行く自信がないと言い出した。

そこに行く用事もちょっと物を置いてくるだけだという。

 その家は、電話は出ず通じないのだとグズグズ言っている。

「じゃぁ、ちょっくらこの車で行ってみる?」

「いいんですかぁ」

「いいよ、ちょっとだもん」

 ということで、出発。

車で10分も掛からない所。の筈だった。

その人は、「前に来た時は夜で、何処をどう行ったのか覚えていないし、林の中の行き

止まりで帰る時はバックで出るのがたいへんだったの」と説明していたが、やっぱり林の

中の行き止まりの所に家があった。

「じゃ、私はここで待ってますから」

「え〜、此処じゃないような」

「でも、カーナビでは此処だって出てますよ」

「でも、此処じゃないですよ」と言いながら屋敷に入って行った。

  私有地の道には、猫が寝そべってコッチを見ていた。

「やっぱり、違いました」とその家の人と共に出てきて、その家の人も分からないと言う。

家に一旦戻ろうかと思ったが、何だか悔しい気がして電話番号を入れてみた。

すると、違う道路を示した。

「今度は大丈夫でしょう」と、その道に向かって出発。

その日はイベントがあって交通規制になっていて、示す道から逸れると違う道を示し

出した。

しかし、ドンドン出発地点から離れて行く、どう考えても我が家と同じ地名だった家へ

は向かっていない。

 

秋晴れの天気、窓からは気持ちの良い風、昔話や毎日の暮らしの話、旅行のツアーで

一緒になった人と話すように1時間以上のドライブをして、自宅に戻ることになった。

 

家に着くと、「何してたの?」と皆に聞かれ、

娘が「だから、調べてあげるって言ったのに」と携帯で調べて場所を印刷してくれた。

 すると、なな、ナント!

その家は、我が家のすぐ後ろ、歩いて1分の所だった。

その人は、恐縮していたが、お互い笑い話にしようということになった。

 

 どーよ、このマヌケさ加減。

私が、失敗というかマヌケを行う時、そこには色んな要因があるが必ず同じ思考回路が

ある。

 それは、“めんどくさい”と“人の手は借りたくない”だ。

何か行う時、時間や場所を調べるとか、確かめをする。といったことが、何故かとっても

“めんどくさい”のだ。

その為、子供の授業参観を違う日に行ったり、参観時間が終わってから行くようなこと

をしてきた。コンサートの時間、会場を間違えるなんざ、日常茶飯事。

先日も、父の訪問診療の時間を2時45分を、2時とだけ覚えていて、その上先生の

診察が急患で遅れたため、1時間以上待つことになった。

そして、この“人の手を借りたくない”根性というか意地っ張り。

よく「パパがやってくれないの」とか「なんで私一人ばっかり、頑張らなきゃならないの」

なんて人が居るが、私は、自分一人で何処まで頑張れるかを試したい。

 子育ては、伴侶は居ないもんとして考えてやって来た。

親の介護も、姉妹も夫も居ないもんとして考えて来た。

 きっと姉妹は、「そんなこと言って頼って来たことがあったでしょう」と言うと思うが

本当は頼む気はなく、顔を立てる為に頼んだことがあっただけだった。

 

 そんな頼らない覚悟の失敗談。

親の病院の通院、入退院の準備、手続き、手配、付き添い、一人で考えて行って来た。

 ある日、夫が「俺もたまにはバァちゃんの病院に一緒に行きたいから、出掛ける時は

誘ってくれ」と言った。

入退院を繰り返していたその日、病院に持って行く物が色々あった、その他に診察券

やら書類、印鑑などまとまりのない頭で用意し母を車に乗せて出掛けた。

母は、のべつ幕なし喋っている。

そこに気を向けていないとションボリするか機嫌が悪くなる。

機嫌は悪くなってもいいのだが、淋しい様子を見るのが嫌で母と居ると気が抜けない。

もうすぐ病院という所で、ハッと思い出した。

 夫を誘うのを忘れていた。

家に戻ると、「俺なんて眼中にないんだよな、忘れて行かれちゃうんだもんな」と言った。

 

夫は、私の前に出て思考を邪魔することがない人で、助かって来た。

でも、そんな私も少しづつ誰かに頼む、頼りにする。という訓練を始めている。

病院の支払い、薬を取りに行き施設に届ける、書類を書く、銀行に行く、やって貰う

となんて助けになることか、楽になることか。

若しかしたら、頼りにするのも礼儀の一つなのかもしれない。と思う今日この頃。

 

 なら、相当礼儀を欠いて生きてきましたなぁ。

 

 

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