あつみ きよし(オオムカドン)

僕が小学生の時だった。

「勇蔵よ、見てみろ!あれはТあんちゃんだぞ!」というお母ちゃんの声で僕は、

テレビの前に座った。

昭和四十年になったばかりの頃であった。と思う。

 そのテレビ番組は映画の「フーテンの寅さん」の第一作となったものであった。

お母ちゃんはエラク興奮していて

「あれー、やだよお、うちのТあんちゃんにそっくりだ。

勇蔵よТあんちゃんちゃ本当にあんな風にして帰ってきたんだぞ」とテレビを指差した。

そこには、半そでシャツにズボンの上に腹巻をした、えらの張った男が出ていた。

それが、Тあんちゃんに対する僕の第一印象となった。

 

Тあんちゃんは勇蔵の母親のすぐ上の兄である。

勇蔵の母親キヌはすぐ上の兄を亡くしているが、七人兄弟の四番目に始めての女の子とし

て生まれた。

Тあんちゃんの話は、キヌから何回となく聞いていたが、その後、故郷に錦を飾るごとく

帰郷してくるТあんちゃんに会うことになる。

Тあんちゃんは、その格好も容姿もビックリするほど、フーテンの寅さんによく似て

いた。

Тあんちゃんは、腹巻を巻いていて、その中に弁当箱位の厚さの札束を入れていた。

そして、親戚兄弟が集まり宴もたけなわになり酒に酔ってくると、「おいちょっとこい」と

子供たちを手招きする。そして、一万円札を二つに折ってその手に握らせるのだ。

「えー」と最初はみんなが驚いた。

勇蔵の父親の月給が、五万円だった頃のことである。

お母ちゃんは、その様子を察知すると勇蔵をつつき

「ほら酔っ払って出し始めるから、そばに行ってろ」と言うが、物欲しげに見られるのが

嫌で勇蔵はそばに行けなかった。

Тあんちゃんは、身体に彫り物をしているという噂だった。

情が厚くて、人思いの人なのに、どこか堅気でないところがあるんだ。とキヌは言う。

身体を汚してきた時のことを、キヌは忘れられない。

 キヌはケロイド体質だ。

結婚して勇蔵を生んでから卵巣脳腫になり右の卵巣の敵出手術をしたが、その傷が赤くな

って何時までも疼いた。真性ケロイドというらしかった。

きっと、Тあんちゃんもケロイド体質なのだろう。

彫り物をしてきたところから膿(うみ)が噴出し、何日も熱が続いた。

膿は衣服に染み込み乾くと肌に張り付いた。

彫り物といっても現代の西洋彫りとは違い、和彫りは針を刺して中でエグルらしい。

その痛みは生半可なものではなくションベンちびるくらい痛いんだぞ。とお母ちゃんは

勇蔵を脅かした。

勇蔵は痛みに弱く歯医者では、気を失いそうになるし、残酷ものや誰かが苦しむ話だけ

でも調子が悪くなる。

怖がりの勇蔵は優しさばかりでなく、嫌われたり祟(たた)らたりするのが怖くて

動物さえ邪険に出来ない。そんな勇蔵を捕まえてお母ちゃんは言う。

「昔、お母ちゃんが子供だった頃、近所に泥棒猫が居てな、干し魚盗ったりして悪さ

すんだわ。

ある晩、このやろーってあんちゃんが下駄投げたら、猫の眉間に当たったんだな。

空中に飛び上がってもんどりうって地べたさ落ちたときは、もう息がなかったんだ。

そしたら、家の男めら、それを鍋に入れて喰っちまったのな。

勇蔵よ、動物が化けて出るなんてウソだぞ。

そんなこと言ったら、今生きてる人ら、みんな牛喰って、豚喰って、鳥から蛙、

カタツムリまで何でも殺して喰っちゃてんだからな

動物の中で一番強欲で、一番残酷なのは人間だとお母ちゃんは思うな」

「一番“おっかねえ”のは生きてる人間だぞ」とお母ちゃんは勇蔵に言う。

 

Тあんちゃんは、数々の伝説を持っており、それを勇蔵に伝える語り部はお母ちゃんだ。

お母ちゃんから聞いたТあんちゃんの話、先ずは小学校の話でもしようか。

 

“すきなの描けって言ったっぺ!”

昭和4年生まれのТが小学校に入ったときの話だ。

Тは三男で下に妹弟が次々に生まれていて、父ちゃんも母ちゃんもТを過保護にするどこ

ろか、目も行き届かず手もかけてやれなかった。そんな時代でもあった。

 小学校に入って学校にも慣れてきた、五月半ばの暖かい日のことだった。

何時もなら昼過ぎには戻るТが、その日は帰って来なかった。

「なんだが、家のТが帰ってこねえんだが、オメーげのソヨはどうした?」と裏の白やん

に聞きにいくと「はー、とっくに帰ってら」と言われた。

家の仕事も野良の仕事もあったが、心配になった母ちゃんは、小学校に行ってみた。

 そしたら、誰も居ない学校の薄暗くなってきた廊下に、一人立ってる子供がいる。

そばに行ってみると、やっぱりТだ。

「何だ、オメー何やってんだ」と言うと。

半べそになったТが、

「先生が、立ってろって言ったがら、立ってんだ!」と言う。

「何だ、オメー何か悪いことでもやったのが?」と母ちゃんが聞くと

「なんにもやっていねえのに、先生が立ってろってゆったんだ」と言う

「そんな馬鹿な話ちゃあんめ、何があったんだか、ゆってみろ」

話を聞くと、図工の時間があって先生は「何でもいいからすきなものを描きなさい」と

言ったのだという。

 Тは何を描くか考えたのだが、何も思いつかない。

そこで隣のソヨちゃんのオ○○コを描いたのだという。

先生がそれを見て「何を描いたのですか?」と聞いてきたので

「隣のソヨちゃんのオ○○コだ」と言ったらゲンコツされて廊下に立ってるように言われ

たのだという。

「オレは、何にも悪かねえ、先生が何でも好きなの描いていいってゆったんだ。

先生はウソツキだ。何でもいいってゆって何でもよくねえべ!そんならオ○○コは駄目だ

って最初からゆえばいいんだ」Тの口はその低い鼻より数段高く尖っている。

母ちゃんは、何と言っていいか分からなくて

「もおいいがら、先生に謝って帰っぺ」と言うと

「オレは何も謝ることなんかねえ。謝るんなら先生だ!」と言ってきかない。

騒ぎが職員室まで聞こえたのか、先生が出て来た。

母ちゃんは、何とかТを謝らせようとしたのだが、暴れだして手が付けられなくなり

ついに「先生が、悪かった。もういいから帰ってくれ」と先生が言った。

「もういいからって何だ?!」と言うТの手を引っ張って母ちゃんは学校を後にした。

もうすっかり暗くなった田んぼ道は、蛙が鳴きだしていた。

 

「そんで、母ちゃんは、Т伯父ちゃんのこと怒ったのか?」と勇蔵が聞くと

「あんまし可笑しくて、怒れねえちゃったって、母ちゃんゆってたわ」とお母ちゃんが

答えるのを聞いて、お母ちゃんに怒られることが何より怖い勇蔵はホッとした。te-ozityan.htm へのリンク