とことん独断と偏見による寿玄夢式大祭礼考

  (別名)道草、寄り道、まわり道、迷い道

 「辰ちゃんと花ちゃんと大祭礼」を読んだ人から 

辰っちゃんについてもっと知りたいとの声があった。

しかし、実際の彼に会っても、鼻の利かない人間にとっての彼は

平凡な普通の人にしか見えないと思う。

天才が天才を見抜くというではないか、君には彼の面白さが判るかな?

 私は勘が良い、心が曇っていなければ迷いなく答えが先に出る。

そして、その答えに向かって積み上げていく、突き進むという形をとることになる。

私的に確信の持てないもの、答えの見えないものに投資する、力を注ぐ気は

今のところない。

なぜならこれだと確信したものであっても違っていることが多々あるのに、

答えの手ごたえを感じないものにまで手を伸ばしている暇はないのだ。

まだやりたいことも、やるべきだと思っていることも終わっていないのに、

やりたいと思っていないことや、今、必要性を感じていないことにまで手を出す余裕は、

今の私にはないのだ。

 

ところで話が変わるが

最新の <寿玄夢流ホンモノの見抜き方>をお教えしよう

先ずはニオイ、香りといってもよいそのものの姿かたちではない

何か自分とマッチするものを感じるものであること。

そのとき何か嫌な胡散臭いものでなく 

それには面白い暖かい胡散臭いものを感じるのだ。

 そして、それは決して何に対してでも失礼でない。

もしそれが失礼だと思うときは自分のあり方を見直す必要がある。

 ちょっとまぬけで色気を感じる。

この色気とまぬけは私的にはとても大切だ。

攻撃と防御の気持ちを持たぬものそれは、人からはまぬけに見えるものなのだ。

暖かさとやさしさ、安心、余裕、決して偉ぶらず面白く、

そして魅力的である。魅力の大部分は色香であると私は思う。

潤い、年齢でない性別を超えた色気を感じるものが、存在する。

それは、ときとして人間でなかったりもする。

胡散臭いことも重要だ。

物事の本質は掘り下げていった時、

言葉では語れない胡散臭いところにぶち当たると私は思う。

科学、物理学、考古学、民俗学、心理学、宗教学といった、学の域では語り尽くせない

何かによって生き、生かされている。そんな気がする。

医学、精神病理学、神学、哲学の先には、カールユング言うところの全人類の記憶と

いわれる集合無意識や宇宙意識という普遍的無意識、霊的意識に行き着くんだと思う。

学を越え(通り過ぎる)ていくと、今の研究では解明出来ないことばかりなので、

かしこい人はそこには触れないようにするらしい。

でも、学を超え(乗り越える)なければならないときが、今きている様な気がしている。

しかし、学を超えるということは、学を無視するということでは、決してない。

人は懐疑的であるべきだと誰か言っていたが、同感だ。

疑り深い人ほど騙されやすいと聞くが、

疑い調べ研究し本当に納得することが出来た人だけが、

本当に信じることが出来るのだと私は思っている。

 そうは言っても、今まで何の疑いもなく信じていたことが、

根底からつき崩されそうになったとき、人は不安に駆られ、それは攻撃となる。

地動説など新しい発見のときは必ずといっていいほどあったことだ。

 しかし今、学からもう一歩先の、胡散臭いところへ進むべき時がきている気がする。

ところが、そのずっと手前のところの、ニセモノも胡散臭いから困ってしまうのだ。

それ(ホンモノ)は、危ないけれど危険ではない。

自分がなにものにも媚びず真直ぐに立っているときは、全く危険でないのだが、

自分の中にウソがあるときや、何かを誤魔化しているとき、

一刀両断のもとにバッサリやられる、まあやられると言ったが、

自分でやってるんだな、これが・・・。つまり、自爆。

 そしてニセモノはホンモノにそっくりであるから、本当に参ってしまう。

それらは、殆んど同じ言葉で表現出来るしホンモノ以上にホンモノらしかったりするのだ。

しかしその違いは天と地、生と死、光と闇ほどの違いを持ちながら紙一重のものであり、

そして、表裏は一体なのだ。

それを見分けるためには、自分の損得感情や他人の意見に惑わされないことだ。

しかし だからといって他人の意見を聞くなと言っているのではない。

他人の意見によらず何でも聞くべきだ、聞いて振り回され変わってしまうようなものは

ホンモノではないのだと思う。

なーに、心配しないで大丈夫、自分を信じればいいだけのことだ。

ただし何かのせいにしたり、何かから逃げているうちは自分を信じることはできず、

だからホンモノを見抜くことは出来ないのだ。

ホンモノを知ることは、見抜くのは、簡単だよ

自分の目で見ればいいんだよ、いつまでも他人の目ん玉借りてんじゃねえよ。

自分が聞くんだよ、誰か、間に入ってもらわなくていいんだよ。

聞こえんだろその耳、聞こえなかったら紙にでも書いて貰え。

耳が、聞こえるかどうかじゃないんだよ、自分が聞くんだってことを言ってるんだよ。

自分の言いたいことは、自分が言うんだよ、

なんで自分の言いたいことを他人が解るんだよ、そして言えるんだよ。

自分だってなかなか解んねえのに、自分の船を他人に任すなよ。

自分で考えて、自分が結論出して、自分が進むしかねえだろ?

てめえの人生なんだからよお。

そんでもって、自分の責任でもって自分がやるんだよ。

誰かを手先にしたり、誰かの手先になってんじゃねえぞ。

なんでも、覚悟を持ってやるんだ、覚悟って字は悟りを覚えるって書く。

悟りはオノレの心の中にある。

自分がホンモノになって、曇りのない目で見て聞いて感じたら、

自然と何がホンモノで、何が必要なことなのか見えてくる筈だ。

 

「さあて、そろそろ大祭礼の話にいこうかなっと。」

また辰ちゃんの話になるが、田楽祭場で延べ1万6千人という人ごみの中で

辰ちゃんと出会い、彼にはちょっと本気出して私の考えを話すことが出来るかな?と

直感で感じたのだが、如何せん時間が足りずどの話も中途半端になってしまった気がする。

 私は、幼い頃からスピリチュアルなものが大好きで、

民俗学にも非常に興味を持っていて柳田国男にも関心はあるが

南方熊楠が大好きなのだ、と彼に話した。

南方には、ひとつのことに捕まってしまわない計り知れないスケールと、

彼独自の価値観を感じて、私自身までもが自由になる気がするのだ。と話した。

辰ちゃんが、その二人の名を当然のように知っていたことは、

私的に興味関心の共通性を感じそこのところをもっと話したかったのだが、

殆どといっていいほど話せないでしまったので、

この「とことん・・・」で読んでもらえたら嬉しいと思っている。

 それにも増して、私が2年前のそれ、死の体験と言って良いのかどうか分からない、

恐ろしい訳の分からないものを味わったことによって、

人知では、などと言うと大袈裟だろうか・・・。

私の半世紀位の人生では、分からないことがあるのだと実感させられたのだが、

今はまだそれを受け入れられない、受け入れたくない気持ちなのだと話した。

すると辰ちゃんは、彼が若い頃に、眼を頭蓋骨の外に出して治療し、

又もとの眼のあった穴に戻すという手術をしたことがあると言い出した。

「えっ! でも麻酔で意識はなかったんでしょ?」と私が言うと

「いや、それがあったんですよ」と言う。

「まさか、痛みはなかったでしょ?」

「いや、もう痛いというレベルでは語りたくないですね」

「なによ、それ!痛いってことですか?!」

「痛いという言葉では表現したくないですね。分かりますか?

眼に針が突き刺さってく感じ・・・」

「分かりました、いや分からない、私そういう話駄目なんです」と病気や痛みに

極端に弱い私は、話に何か危険なものを感じてその話を止めたのに、今度は

自分の方から、前年の暮れに帯状疱疹になって大変な思いをした話を持ち出した。

すると、彼の奥さんも何年か前に帯状疱疹になり、

それが腰から上に向かい首まで上がってきて、その時かかっていた医者に耳より上に

なったら命が危ないと言われたという。

私の場合はヘソから右回りで背中まできたが、やはり大変な思いをした。

自分が味わってみて初めて分かったことだが、

お産より大変だという人も居たりして、昔はそれを苦にして自殺した人もいたとか、

目に出ると目がつぶれ、耳に出ると耳が聞こえなくなり、

身体を一周すると死ぬなどと聞かされた。

 帯状疱疹というだけあって正に帯状に疱疹(赤いブツブツ)が出来る。

それは電気が走るような痒みのような刺激的な痛みだった。

医学の発達した現代であっても、それがどういったものなのか不安で、

誰彼構わず聞いてまわり、私が、臆病で気が小さく神経質な人間であることを、

周りのものに再認識させることとなった。

 そこで感じたインフォームドコンセントとセカンドオピニヨンについては、

又の機会に語ることにして、医学の発達していなかった昔の人たちにとって

帯状疱疹や風疹、麻疹、水痘など、免疫を作る為に一度は罹(かか)る病であっても

命取りとなったときく、現代では一応なくなったといわれる疱瘡などは、

どれほどの脅威であったことか。

疱瘡(ほうそう)は治っても痕(あと)になる。

松尾芭蕉や塩田三郎が痘痕(あばた)顔であったことは有名な話だ。

1864年フランスに渡った時、何人で行ったのか分からないのだが、

通弁御用出役(通訳)であった塩田を筆頭に10人程が痘痕を残していて、

それが、珍らしがられて、今もその写真だけが、パリー図書館残っているというのは、

皮肉であるが、日本人の多くが疱瘡に罹り、それを恐れてきたことは、

疱瘡絵(疱瘡よけのまじない絵)や、疱瘡神(これに祈れば疱瘡を免れたり、軽くすむと

いう)、そして愛知県の黒倉田楽の疱瘡踊りになどに表れている。

 ひな祭りは、一説に平安時代が起源といわれ、

高貴な生まれの女の子の厄除けと健康を祈願して始まったという。

なるほど、お雛様は平安時代の衣装だ。

 祭り、神社には繁栄の根源である性的な部分が、実に明るく堂々と現されていて、

ひとつの性教育も担っていると思う。

 南方は、学の付く人たちが尻込みする下ネタを地元の人と好んでしたらしい。

生命の誕生は、繁栄の基本であり、昔の日本はおおらかな部分があった。

裸は、決して恥ずかしいことではなかった。

ペリーが4隻の黒船を率いて、開国を求めて来航したとき、

下田の公衆浴場は公然たる男女混浴であったことは、

ペリーの「日本遠征気」に載っている絵に残っている。

私が思うに、その頃の日本は、バリ島の様に沢山の数え切れないほどの神社が、

村ごとにあり、祭りがあり、それは人々の心の支えとして存在していた。

 祭りには

(祭儀) 神職を中心に行われる 秘儀 非公開 清め

(風流) 氏子等を中心に行われる 行列 作り物 踊り

(祈り) 五穀豊穣 家内安全 無病息災など幸福祈願

(祝福) めでたい縁起の良いことを言ってそれを実現化させようとする

(呪う) 病気災害、悪霊悪神を追い払う お祓い

   (田楽) 豊作を祈願しての占い的部分 お願い 縁起担ぎ 振るまい 

芸能的要素 感謝 厄払い

といった様々なものが織り込まれ、人々の不安を祓い、願いや希望が込められ、喜びを

分け合い、神への感謝として、また畏れ敬うことで、それは継承され守られてきた。

 その裏側に 秘密裏に受け継がれ行われたことがあったのも事実だ。

人間を「いけにえ」として神に供えたのだ。

川に橋を渡すとき人柱を立てた話は聞くが、日本に人身御供の風習が実際にあったかどう

か、柳田国男が最初否定していたが後に肯定している。

「いけにえ」は仏教殺戒が、一般的に広まることで、代わりに人形が供えられる様になる。

祭りはもともと女性が中心であったものが、やがて中心から排除され裏方になっている。

 

 希望、祈り、願い、祓い、清め、祝福、めでたい、振るまい、縁起担ぎ、喜び、祝い、

楽しみ、芸能、繁栄、感謝、御礼といった明るい部分の裏には暗い部分が隠されてきた。

 一見平和そうな、庶民の暮らしの中に、不安や恐怖が隠れていたように。

「いけにえ」があったように、よそものは排除され、村八分があり、

都合の悪いことは、弱いものに押し付けられ、背負わせられ、いじめられてきた。

口減らしのため生まれたばかりの目の開かない子が屠られ、年老いた親が捨てられた。

幼い娘などにも、近親相姦がありそれをまわりは黙認してきた。

いつも弱いものが、被害者だった。

女、子供、障害者、年寄り、よそ者、貧乏人、傷ついたものたち、

傷は癒されるためでなく、より痛めつけられてきた。

縄張りを作り、縄の中を結束する為に、村八分やエタヒ、ニン、部落民といった。

嫌なことを押し付けるものを必要とした。

自分たち以外のところの不幸は、自分たちの幸福の再確認となり、弱いもののところに、

更に苦しみが与えられた。

 それなら、今の時代は、弱いものいじめがないのかといったら、

昔とまるで変わってはいないと思う。

自分が経験しないことは分からず、分かっていないということすら分からず。

事実を見ようとしないと、それはなかったことになるのだ。

 もういい加減に気づけよ、と思う。

何かを犠牲にしたり、自分の負の部分を誰かの押し付け背負わせることで、

安心したり幸せになることは、本当の幸せには、安心にはならないのだということを。

迷える1匹の子羊と99匹の羊、そして羊飼いの男、キリストが男に聞く。

「あなたは、迷える1匹の子羊を救わないでいることが、出来るであろうか?」と

子羊は誰のために救われるのであろうか…。

それは、男か?1匹の子羊か?99匹の羊のためか?

それとも、すべてが、すべてのためであり、自分のためか?

 

明治維新直後の政策に神仏分離(神道から仏教を独立させた)が行われた。

それは、廃仏毀釈となって、民族学にとってもかけがえのない宝が壊されていくことに

なった。

その時、南方熊楠は損得なしに廃仏毀釈の反対運動に奔走する。

平安時代に始まったといわれる大祭礼、平安絵巻さながらにと銘打たれる大祭礼だが、

平安時代は、その名の通り350年の長きに渡って平安の時代が続いた。

その理由のひとつに、国家と宗教の関係がうまくバランスがとれていたということが、

大きな要因であるといわれる。

 それは、どういうことかというと神仏の共存、神仏習合であった。

日本古来よりあった神道に、当時海を渡ってやって来た仏教が現れ、

そこに国が加わることによって微妙なバランスが生まれたのだ。

私はすべての良いことは、それぞれの距離感とバランスにあると思っている。

そして、その完成された形が曼荼羅(まんだら)なのではないかと思い、興味を感じる。

 こじつけといわれるかもしれないが、国と神教と仏教がそれぞれの領分を守りつつ、

お互いを立てあい、そして牽制しあったときの関係は、

ジャンケンのグー、チョキ、パーの様な、

言ってみれば三竦み状態(かえる、へび、なめくじ)が出来上がり、

まるで三権分立(司法、立法、行政)のような、

ひとつの権力が暴走しない仕組みが出来上がったと思うのだ。

その押しと引きのバランスによって、それまでに例をみない長い平和の時代が続いた。

 当時何らかの異変や災害など、人道的であれ天変地異であれ災いは、

ヒトやカミの霊の怨霊や、物の怪によって生ずる祟りであると考えられていたようだ。

その御霊を鎮めるために、仏教層と神官が総動員で仏教と神道が協力して、

国家と社会の元で清め祓い、鎮魂の儀礼をおこなった。

最近、流行っている陰陽師も当時の国の役人として、そういったところに関わっていた。 

それ(悪霊、怨霊、病気、災害など)は、言葉によっても姿を現すと考えられ、

血は死に通じ縁起が悪い)と嫌ったり、葦(あし)は悪(あし)きに通ずると「よしず」

というなどといった、こじつけを伴った好字化が行われることになった。

 

 そして令外の官(律令制下、令に規定された以外の官)のひとつ検非違使(けびいし)

などのように、危ない恐ろしい血を見るような仕事、穢れ(けがれ)るようなことは、

それを誰かに押し付けたり、何かにくっ付けることで、

自分のところから祓うことが出来ると思い、

不吉なことや、穢いことは見なかったこととして扱われたようだ。

検非違使には権威が与えられ、その権限は強大であったと聞くが、

私はその頃に差別、エタ、ヒニンの基が作られたのではないかと思っているし、

確か、誰かも言っていたと思う。

しかし、自分にも流れている血を嫌い、

血が落ちているのを見て遠回りするような者たちが、

それを、刀と共に押し付けた者たちに、取って変わられる事になるというのは、

あまりにも皮肉で滑稽ですらあるが、下克上は世の常である。

踏まれしものは、排除されるものは、強くなる。

そして、心を持てば賢くなる。

マイナスを越えて、強くなり、受け止めて育つなにかが、そこにはある。

強靭でありながら、自然の流れに身を任せる柔軟さを持つことが出来たら、

いつでも心を自由に出来る。

 ガンジーを思い出す。

彼は、カースト(インドにおける身分制度)は悪くないが、

カースト外は、いけないと強く主張し、

カースト外のもの(不可触民)をハリジャン(神の子)と名づけた。

ガンジーは、区別と差別の違いを知る人であると私は思う。

 そこに、私はもうひとつ付け加えたい、ハリジャンはカースト外の人だけでなく、

カーストの人もハリジャンであるのだと…。

 神がどんなものも愛し、神の子と認めていることの中には全てが含まれている。

今はなくなりつつあると聞くカースト制度、それに問題がないとはいえない、

しかし、自分の居場所、居所が明らかでないと逆に居心地が悪いのも事実だ。

ある僧侶達の集まりで、すべての者を平等に無礼講で行おうということになったという。

しかし、それを始めて間もなく、お願いですから止めてくださいと泣きが入ったという。

それを言ってきたのは、下層の坊主達で、

どこでも好きな所に座ってよいと言われても、逆に座りづらく、

お茶を出すにしても、何処から出していいか迷うばかりでほとほと困ってしまったという。

つまり、年寄りに敬意を払わず、親たちに権威がなく、こどもに感謝がなくなって、

みんなで、居場所を見失い、ウロウロしている現代の日本人のようになってしまったのだ。

 

 それでは、なぜ人は権力を持ちたがるのだろうか?

人は、自分にとって都合の悪いことや、面倒くさいこと、危険なことを、自分に関係ない

ところに押しやりたい、何かに押し付けてしまいたい気持ちを持っている。

汚いものは見たくないし、触りたくないのは本音だろう、

しかし、それをみっともないことだとは思わず堂々と、権力者は行うことが出来るのだ。

人が上下関係を作りたいのは、自分のために他人を自由にしたいためだと言ったら

顰蹙(ひんしゅく)をかうだろうか。

 しかし、上下はないが、分はあると私は思っている。

人間や職業に上下、貴賎はないが、それに対する熱意に貴賎は存在する。

そして、自分の分を弁える賢さは必要だと思う。

それにしても、平安時代というのは面白い時代であまりにも長く平和といっていいのか

バランスのとれすぎた時が続き、過熟した時代であった。

そこに私は、アールヌーボーの頃を重ね合わせたりするが、現代の日本に似たものを

感じる。

 源氏物語の面白さはマザコン、ファザコン、シスコン、ブラコン、ロリコン

(なんだやつはコンプレックスの塊かよ)を伴う恋愛話と共に、

モノの怪(け)や怨霊の部分が素晴しく面白い。

と私が言うと、「そこにホモは含まれないの?」と聞くものがいた。

私的にホモは、元々の性別であって、世の中が否定や排除をしなければ

自己否定もないものであって、コンプレックスとは違うところに

位置しているのではないかと思っている。

まあなにが言いたいかというと、時代の成熟は人間を思い上がらせ、

そのくせひ弱なコンプレッツクスの塊にする。

そこに芸術か生まれる。

芸術とは成熟の先の過熟の果てにある退廃をともなう腐敗か熟成か・・・

そして爆発、その先にあるのは、破滅なのか、浄化なのか。

 今、取り敢えず平和で自由であるが故の不安と、押さえがない足元の不安定さに、

身の置き場を見失っている。

麦は踏まれなければしっかり根を張ることが出来ない。

嫌なこと、面倒臭いことから目を背け、人に押し付け、

それをなかったことにしても、自分の中の何かが、許すことはない。

フロイド言うところの「悲しみの引き受け作業」をおこなうのは、

自分以外にはいない。

「悲しみの引き受け作業」とは、どんなに辛く、悲しい、悔しい、認めたくない、

無かったことにしてしまいたいことでも、

一度それがあったことを思い出し、受け止め、認めることをしなければならない。

それを悲しみの引き受け作業と、フロイドは言った。

それをしないことには、その先に進むことが出来ず、

自分では忘れたつもりでも、どうしても見えない壁にぶつかり前に進めないことが

あるのだ。

時にあまりの辛さや悲しみに、そのことをなかったこととして

記憶から消し去ってしまうこともあるという。

しかし、あくまでも、「引き受け」を行うのは本人自身の意思によってであることを

まわりの者は、忘れてはならない。

ショックによって記憶喪失になった人に突然、

事実を知らせると錯乱してしまうことがあるという、思い上がりの行為は怖い。

思い上がっていなくても、無知の行為も怖いと思うのだが、

案外深く考えないでしていることには失敗が、なかったりする。

そして忘れるということも、その身を守るための大切な手段であり

決して悪いことではないのだ。

しかし、その受け入れるべき時がきたら、幾が熟した時に、意を決して、

覚悟を決めて行わなければならない。

何度も繰り返すが、今というときはもう全てに於いて、見ない振りや気が付かない振りが、

効かなくなってきている。

 

 親鸞の歎異抄が(一部の権力を持ち、支配を目的に宗教をおこなう)者の都合で

削除されたり、聖書が人々を不安や混乱に陥れない為という名目で、

削除が行われたことで、大切なことが見えなくなってしまったことは、

知る人ぞ知ることであろう。

釈迦もキリストも親鸞も、大切なことは言葉で伝えられたと聞く。

大祭礼も口述で伝承されてきており、その都度、意味を考えどうしていったら良いか、

どうすべき、どうあるべきなのか、話し合い決めて行うのだという。

 「画龍点睛(がりょうてんせい)を欠くべからず」という。

有名な画家(梁の張僧ヨウ)が、白龍の絵を描いたがそこに睛(ひとみ)を入れるのを

忘れ、それに気が付いて眼を入れると、本物の白龍となって空へと昇っていった。

という中国の故事からの言葉であるが、殆どの解釈が、

「物事を立派に完成させる為の最後の仕上げ、わずかなことで、全体がひきたつたとえ」

となっており、それに出会うたびに、

「ちがーう」と叫んでいる。

睛(ひとみ)は単なる眼ではない、魂(たましい)なのだ。

「仏作って魂いれず」というが、魂があってこその仏像なのだ。

見えるものと見えないものでは、見えないもののほうが沢山あるし、

大事なものは眼に見えない。

一番大切で、本当に美しいものは目に見えない。

「かんじんなことは、眼にみえない。心で見なくちゃ・」

とサン=テグジュペリもいってる。

神は、仏は、形だけの立派なものを求めてはおられぬ。

だからといって手を抜いてよいということではない、

心のこもった精一杯のものであればそれでいいのだ。

しかし心を込めて精一杯行っていると、おのずと良いものが出来てくるのだ。

慣れは、油断に繋がり、意味を考えず形だけをなぞることになる。

すると点睛を欠くことになるのだ。

 

大祭礼は72年に1度である。

大祭礼に来ていた年寄りの言葉だ。

「あたしは、お蔭様でこれで大祭礼を2回見ることが出来たよ、

でも1回目はまだ子供で何をやってるんだか分からなくって、

今回はまたよく分からない頭になって見てるんだよ。」

 それで、それが、いいのだ、と思う。

形だけを伝えないから、伝わる何かがある。

 

 その後、辰ちゃんから封書が届いた。

その中に、かくまつとむ氏の大祭礼観覧報告があった。

その最後の言葉だ。

「そこに集う人々の、たとえ物見高さが動機であっても、

希望とはそうした楽天家の上に、真っ先に降りてくるものなのだろう。」

 

 私が楽天家になるには、程遠い。

私が、楽天家になるためには自分を受け止め、認め、

納得いくまで考え、考え抜いて答えを出し、

自分を突き抜けていくしか道はないと思っている。

 まだまだ、道は長い。

道草、寄り道、まわり道、で、迷い道 

 

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