図書室

 私の通った小さな小学校は、図書館はなく教室の一室が図書室になっていた。

図書室は、二つの教室の壁が抜かれ棚が設えられ、本が並んでいた。

それは、今から考えると小規模なものだが、当時の私にとっては、宝の山であった。

図書室の前の廊下から続いた突き当たりの部屋は、体育室だった。

 

 私は物心付いた時には、もう本の虫だった。

最初に人生の面白さを痛感、体感したのは、本だった。

 小学校の卒業式の時のことだった。

何だか嬉しくて晴れがましく、浮き浮きしていると一年生の時に担任した女先生が、

傍に来て言った。

「麻子ちゃん、先生をしてきてあなたが初めてだったわ、一年生で授業中に机の下に

本を隠して読んでいたのは」

 何だか、いやーな気持ちになって落ち込んだ。

自分が、そんなことをしていたという覚えはなかった。

 

“ダンドー”というゴルフの漫画がある。

そして、“昴”という漫画にも、何かに夢中になると周りの音が消え、時間が止まるという

か、時間と場所の観念もなくなる場面が出てくるが、

 私は、本を読み出すと、正に時も場所も忘れ、音も聞こえなくなる。

 

あれは、西側の教室の時だったから2年生の時だと思う。

休み時間に図書室に行って本を読み出すと、時間が止まり、本の世界に入り込む。

そして、ハッと気づくと、運動場が静かで誰も遊んでいない。

(どうしたんだろう?)と不安な気持ちになり慌てて教室に戻ると、すでに授業は

始まっている。

 

給食が苦手だった私は、給食の前に手を洗いに行くと、ちょっとだけ図書室に行きた

くなる。どうしても、行きたい。

給食当番が、その準備をしている間だけ、ちょっとだけだからと図書室に行く。

ちょっとだけのつもりで本を開く。

 そして、ハッと気が付く。

みんなが、私を捜しに来たことが何度あったことか。

「何故時間を守れないんだ」と叱られ、「ズルイ!」と言われたが、本を読んでいると

授業開始のチャイムが聞こえなくなる。

「何故聞こえないんだ?!」と言われたが、聞こえないということは、聞こえないという

ことも気が付かないということだ。

本の世界に居る時は天国だったが、現実に戻ると地獄だった。

今だから言うが普通に生きることは、本当に面倒くさい。

 

“本読み表”というのがあった。

読んだ本一冊に付き1枚のシールが貰え、それを表に貼っていく。

教室の壁に貼られた表の私の所は、ダントツに長く、貼りきれなくなって紙が足された。

最初は面白くて貼っていたが、何だかそれが嫌な気がして本を読んでもシールを貰わ

なくなった。

何事によらず評価されるために何かを行うということは、私の中の何かを苛立たせる。

 

“言葉遣い表”というのもあった。

男の従兄弟達と、訛りの強い大人たちの間で育った私は、言葉使いが荒かった。

 その荒さは普通ではない。それは現在も続いている。

まあ「バカヤロウ」とか「このやろー」「チキショウ」などという言葉は、良くないと思う。

 でも方言は悪い言葉ではないと思う。

その土地で育ち根付いた言葉を否定するということは、その土地とそこに暮らしてきた

人を否定することであるような気がする。

 でも、当時は「そうだっぺ」という方言さえも悪い言葉とされた。

そして、私の表にシールが増えることを喜ぶ、面白がる仲間(?)が、私の後を付いて

回って、先生に申告しシールを貼った。

この表もシールは貼りきれず、紙が足されることになった。

ある学校で、地方から転校してきて方言があるということで仲間に入れてもらえず、

イジメに合ったという話を聞いて、何て品性下劣な集団なんだろうと思った。

 形だけで物事を判断し差別、排除を行う者のみっともなさと、貧しさ。

 

“忘れ物表”というのもあった。

はい、そうです。もう分かりましたね。

これも、忘れ物をするとシールが貼られというもので、私の表にはシールが貼りきれず

紙が足されました。

 

 ある学校で、忘れ物をした子が居ると、先生が

「はい、〜クンは今日も忘れ物をしました。みんなで笑ってあげましょう」と言うんだ

そうな。

 すると、教室のみんなは、その忘れ物をした子を見て

「アハハハ」と笑うんだそうな。

 私は、その話を聞いて(ゲッ)となった。

人の失敗を見て笑う、それもあざ笑うことは教育だろうか?

事実を言われて恥かしいと思うのは、その人に生き方を見直す必要があるのだと思う。

しかし、恥をかかせることによって失敗しないようにさせるというのは、押し付けで

あり、暴力による支配なんじゃないかと思う。

私は、何かを行う原動力は怒りや不安、恐怖でなく、ましてや、暴力や支配による

ものでなく、夢や希望、発奮、想いによって動いていくべきだと思うし、自分はそう

ありたいと願う。

 人はみんな良くなっていきたいという希望があるんじゃないだろうか、

ただそれが思うように行かなくて、或いは希望を持てなくなって捻じ曲がった気持ちが

大事なことから逸(そ)れた思考や行動になってしまうんじゃないかと思う。

 だったら、本来の心に戻りさえすれば間違いや大きなブレはなくなるんじゃないかと

思う。

 その本来の心とは、解釈が難しいが一口でいうなら、愛だと思う。

 

4年生の道徳の時間に、先生が話した。

その内容は、今でも覚えている。

それは、学校から帰った子供がランドセルを玄関に放り出して遊びに出掛けるという

単純なものだった。

「この話は図書室の本の話です、誰か読んだことのある人」と先生は言った。

私は、本が好きでよく本を読んでいるという定評があった。

先生が、「誰か読んだことのある人」と言った瞬間、教室のみんなが私を振り返った。

 

 その頃の私は、図書室の本を全部読んでいた。

大したことのない数量の本で、何度も読み返していた。

先生の話は読んだ覚えのない内容だったが、(図書室の本なら読んだ筈だ)と私は思った。

そう、先生は、「図書室の本の話です」と確かに言った。

 私は、そろそろと手をあげた。

その瞬間、「今、手をあげた人はウソツキです。この話は先生が考えた話です」と先生は

言った。

私は、恥ずかしさで泣いた。

みんなの前で泣いた自分が悲しくてみっともなくて惨めで、更に泣いた。

(死にたい)と(消えてなくなりたい)とその時思った。

 

それから、私は、ウソはつかないと肝に銘じて生きるようになった。

が、先生はどうなんだろう?あの話はウソじゃなかったのか。

ウソツキを見つけるためには、ウソをついてもいいんだろうか。

私は、ウソをつくとイヤーな気持ちになってシコリとなって消えない。

 あっ、私にとって勘違いと思い込み、思い違い、間違いは、ウソとは違いますからね。

 

 大人になって仕事が軌道にのってから、すし屋なんて所に常連で通うようになった。

そこで、よく一緒になる社長が居たが、その人は自分が一流高校を出たことが自慢の

ようだった。

山の方からそこの高校に通ったことが自慢であると同時に、大學に行けなかったことが

一生の不覚であるようだった。

小学校は私と同じような小さな学校で、図書室の本は殆ど読んだと彼は言った。

 そのうち、娘さんが、結婚することになったが、自分の娘は大學を出ているのに相手が

一流の大学を出ていないことが面白くないのだという。

そして、二人の選んだ結婚式場が地方の会館だということが、

「自分の親戚はみんな東京の帝国ホテルあたりでやっているのに恥かしい」と言った。

 私は、「あなたは、サン=テグジュペリの“星の王子様”は読まなかったんですか?」

と聞きたかった。

読んだというのなら、

「あの中にある「美しいところは、目に見えないのさ」

「目ではなにも見えないよ、心でさがさないとね」っていう意味分かりますか?」

と聞いてみたいと思った。

 まあ私も分かっちゃいないのかもしれないけどね。

 

 小学6年の国語の授業で教科書を読んだことがあった。

忘れもしないパールバックとの出会いだった。

彼女は本が大好きで、子供の時に本を読んでいるとそこにのめりこみ、時間も回りの

状況も忘れてしまって失敗をしたという話がのっていた。

 私の読む順番がきて、朗々とそれを読んだ。

どこで止めたらいいか分からず、よどみなく朗読を続け、大分進んだ所で朗読を中止した。

先生の顔を見ると、「何処で終わりにするかと思った」と言われた。

意気揚々とした気持ちが一気に沈んで恥ずかしさでイッパイになった。

 私は、そういう子供だった。

 

 私の遊び仲間だった子が、最近遊びに来た。

少し年下で“おままごと”や“学校ごっこ”をした子だ。

 彼女は、今、学校の先生をしているという。

アッサリと飾り気のない、それでいて繊細で人の気持ちを思いやる彼女を見て、

今のこの世の中、先生という重責に押しつぶされないで欲しいと心から願った。

 

 “心療内科”

知人が鬱(うつ)状態だった時に、心療内科に付き添って行き、ついでに自分も見て

もらったことがある。

聞かれたことに答え、自分の症状を話した後で、

「この体調の悪さと、心のウサが晴れないのは、更年期障害のための鬱でしょうか」

と聞いた。

「あなたの場合は、鬱というより分裂症でしょう。心療内科より精神科の方ですね」と

先生は言った。

(ドッーヒャー)である。

小さな病院で、一人だけの先生だったが、ナルホドと感心した。

 ここで、カミングアウトしまーす。

って、もうみんな分かってると思うけど、私って分裂症なんだね。

話はアッチコッチするし、視点は普通の人と違う所から見るし、何かみんなが分からな

いらしいことをイロイロ感じちゃったりするんだよねぇ。

 仕方ないよねぇ。それが自分なんだから。

その後で、先生が言ったのが、

「そういう人が楽になるモノはあるんですよ。

でも、面白くなくなっちゃいますよ。あなたは魅力がある人ですよね。人気あるでしょ。

今、何をやっていますか?発想が豊かで自由なんじゃないですか?

昔から天才と言われた人たちの多くが持っていた気質ですよ。

若し、どうしても苦しくて耐えられなかったら、そういう楽になるモノもありますけど、

僕があんまり勧めたくないなぁ」

「でも、私オカシクないですか?」

「オカシクないかって考えてる人は、大丈夫なんですよ。

大体が、オカシクない人なんて居ますか?」

 

 “花”

 学校で花を持っていくでしょ、そうすると、先生が、

「〜さんが、花を持ってきてくれました。ありがとう」なんて言う。

それが、どうにも気持ち悪い。

私は、人前でお礼を言われるのがイヤ、照れくさい。

お礼を言われたり、誉められて得意になってる人が、イヤ。

お礼を言われたり、誉められたくて行動する人が、イヤ。

それを言われるのがイヤだからって、行動しない人もイヤ。

 誉めらる人に嫉妬して、足を引っ張るような人には、なりたくない。と思う。

 

学校っていう囲いの中にある社会って一種異様だと思う。

画一化された価値観が横行していて、独裁者のような大人の好みと価値観によって

毎日の生活が運営されていく。

「なんでも質問しなさい」と言いながら

私が質問した時に、答えられないと「そんなこと考えんでよい!」と言った先生が居た。

何故、「先生も分からないんだよ、一緒に考えてみよう」と言えないのか。

 私は方程式を覚えず、自分で考えて数式を解くことがあった。

それは、私にとって面白くて楽しいことであった。

 でも、それを許さず怒り出す先生が居た。

そういう人は、先生というのは何でも知っていて、上から教えるものだと思っている

んじゃないだろうか。

 先生は、一緒に考えて、人のやる気や、考える引き出しを開ける人であって欲しい。

先生や坊さん、医者になる人は、手柄を欲しがらない人であって欲しい。

自分は人より上でなければならないんだと思わない人であって欲しい。

もう、ここまで学校が退廃して、基礎学力も常識もない人間が増えてきているのなら

いっそのこと、腐りかかった常識を取り除いてみたらどうかと思う。

 

 花が、テーブルの上にある。

誰が持ってきたのか分からない。

 ただ、花がそこにある。

 

花が萎れて、誰かが黙って片付けた。

        でも、花は、一時そこにあった。

それに気がつく人になりたい。

 

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