ツカちゃん

 “塚石”という題名でエッセイに載せた。

ツカちゃんにそれをコピーしてやった。

 それを読んだツカちゃんが、「こんなに誉められていいのかなぁー」と言った。

「別に誉めてねえから」と、私は言った。

 

 ツカちゃんは、あそこに描いた通りの人だ。

「何で、こんなに、まるでそこに居たかのように、あの時の様子が描けるの?」と

ツカちゃんは目を丸くした。

「へっへー、だ。そこに居たんだよ」

 なーんちってね。

 

 でも、ツカちゃんが、あれを読んで自分を誉めていると言うならば、ツカちゃんは、

自分が理想としている生き方をしているということだ。

 ツカちゃんとの付き合いは長い、でも付き合いは時間ではない。

だけど、二人で一緒に成長してきたということは、事実だ。

二人の底辺にある根本のものは変わらないが、昔は二人とも随分ヘボかった。

私の中の支配欲、嫉妬、征服欲、疑心、排除、軽蔑、侮蔑、数え上げたらキリがない。

 ちょっと補足すると、私に普通の嫉妬はない。が、悲劇を装いながらベタベタと自慢

話をする人に腹の底から黒い汚泥が湧き上がってくるのを感じる。

ツカちゃんの中にも、乙女チックなおままごと感覚、馴れ合い、優しさにみえる表面主

義、深くモノを見ようとしない切捨て、自分の中で理解出来ないことや、理解したくない

ことに対する軽蔑、無視などがあったと思う。

まあ、あったと言い切って二人がそれらのモノを乗り越えたかといったら、まだまだ、

生きている間はそれとの戦い、自分との戦いに尽きるといっても過言ではないと思う。

 

 私にとってツカちゃんは都合がいいというのは、私と価値観と美意識が似ているから

私の邪悪な部分を触発しないので、話していても一緒に仕事をしていても自己嫌悪が起き

ないのだ。

 先ず、ズルクないので時間をサバよんだり、物事の誤魔化しをしない。

ウチの店では、店員が買う時は自分で、店員の割引値段で買う。

出勤時間は、来た時間引く5分で付け退勤時間までからマイナス1時間が勤務時間と

なっている。

 朝は9時半出勤だが、そこはフレックスで10時まではサービスでお茶を飲んで、

ミーティングと称してはいるが、楽しい“無駄話ターイム!”だ。

昼食は45分、午後のお茶は15分取ることになっているが、ずべて自己管理、昼食に

用事が入って休めなかったら、後で自分で時間を作って休む。

 ツカちゃんだけが、主で居た時には、全く私のカンに触ることがなかった。

だが、その後、いや、その前にも色々あったのだが、他の人が入ってきてツカちゃんの

必要さが分かった。

 昼食は、ツカちゃんが作ってくれて皆に出したのだが、後片付けをしない。

休み時間は自分の休んだ時間で考えていて、仕事から離れた時間ではない。

 自己管理なのだが、その人を私は信用出来なかった。

出勤時間と退勤時間を見ると、勤務時間が多く書かれていた。

 仕事に身が入らない、やる気が見えない、私の話をコバカにした態度で聞く。

揚げ足を取る。失敗が目立つ。注意すると、異常に怖がりビクビクしたりお世辞を使う。

そうなると、仕事に気持ちが向かず私の様子にばかり気がいって、客が見えない。

 

 退勤後に勤務表を見る自分に嫌気が差し、疑わせるその人が嫌になった。

私は、何事もコダワリなく清々とした気持ちで楽しく、集中して心を込めてやりたい。

だから、他人のことに気を取られたり、振り回されたくない。

それが、私の行く手を阻(はば)むモノが現れた場合、大変なことになる、って他人事

みたいなんだけど、怒り出した私は、手が付けられない。

「なーに、やってんだ!このヤロウ!」となったら、何をしでかすか分からない。

ツカちゃんが、その生き証人だ。

「麻子さんって、怒り出したら手が付けられなくなるのよね、首から上がミルミル赤く

なって、そうなったら、危なくって。

でも、いいわよねぇ、色が白いから、赤くなってもキレイで」ってツカちゃんは、

クスグリも上手い。

 「麻子さんって、コワーイ」「麻子さんに怖いものってないでしょう?」って言う人も

居るけど、私にとって何が怖いと思う?

手が付けられなくなった自分だよ。

分かるかなぁ、なにしろかにしろ、自分が何かやらかしてしまうことが怖い。

「私は、本気で怒ったことがない気がする」って言ったら、

「そんな筈はない。何時だって怒ってる」と言われた。

ザンネンでしたー。私が自分を抑えないで怒ったらどうなるかわかりませーん。

きっと、死ぬまで自分から手綱を放すことはないと思うし、放すつもりもありませーん。

 

ツカちゃんは、私が怖いからとか、見つかったらタイヘンだからとかじゃなく、

自分の誇りによって行動する。

「疲れている時は、いいから裏でやすんでなよ」と私が言うと

「そういうことをする位だったら、帰ります」とツカちゃんは言う。

話が合うので、一緒にお茶に入ることも多い。

時間になって「まあ、いいだろうよ、オーナーの私が許すんだから、もう少しゆっくり

しようよ」と私が言っても、「やだ」と言って慌てて茶碗を洗って店に出ていく。

 時間を誤魔化すこともない。

まあ、間抜けだから間違うことはあるだろうが。

 我が家の子供たちが、反抗期っていうか、いろいろあった時、って今もあるんだけど、

そういう時でも、総てを話して嫌じゃない人なんだ。

 彼女は、ちょっと秘密主義な所があるが、それは彼女の勝手で、私が話したから彼女も

私に教えろなんて気持ちは、全くない。

 彼女は基本的に人を軽蔑しない人だと思う。

でも、自分の美意識に合わないこと。

例えば、人のせいにするとか、いいわけするとか、タカル、物欲しげ、スケベったらしい、

不潔、だらしない、コネ、賄賂、毅然としていない、人前で泣くなどの彼女にとって

ミットモナイ姿をさらすことは絶対許せないことなのだ。

 しかし、自分がそうなるのが許せないのであって、自分以外の人となると無視という形

になる。

 私も同じ価値観なのだが、私の場合は攻撃と排除という形になった。

これは、過去形でよい。

何故なら、今は違うからだ。

 2001年の再生、死に掛けによって、私の中でここがガラリと変わった。

私が、嫌だと感じる人の中にある、淋しさ、不安が、怒りとなり、攻撃、自己顕示、甘え、

誤魔化し、思い込みの底に潜んでいる悲しみを感じるようになった。

 だからといって、その人のだらしなさや、掛けられた迷惑が許せるわけではないし、

私が許すという権利もないように思う。

 確かに庭の花を盗っていったり、店の品をバックに入れたり、駐車場にゴミを置いて

いったり、友人の夫を寝取ったり、障害を持つ人を食い物にしたり、いたいけな子供や

弱い立場にある人に悲しい思いをさせている人に出会うと嫌な気持ちになるが、

私のモノに対する被害は、私レベルで許している。

 しかし、その人本人の、魂(たましい)って言ちゃうと、何だかなー、ってことになる

んだけど、やっぱし、魂レベルでの話になると、その許しは別のトコにあるんじゃないか

と思う。

 まあ、その人自信が、気が付くしかないんだよねぇ。

その人が、人のモノを盗って嫌な気持ちになったら神様が教えに入ってるんだなぁ。

人を傷つけて嫌な気持ちになった時や、自慢して嫌な気持ちになった時なんかは、

それは、誰かが、何かが教えてくれてるんだと思うんだよなぁ。

 なんか、自慢しちゃった後って、イヤーな気持ちになんない?

 

 以前、私の弟分が、再就職先を探していた時。

「何処かに良い所がないだろうか?」とツカちゃんに聞いたところ

「その人、どこか弱いの?」と聞かれた。

「えっ、別に」と言うと、

「ふーん」と言う。

「何で?」と聞くと、

「何歳?」と聞かれ

「25歳」と答えた。

ツカちゃんの家庭や育ちから考えると、自分の就職や生き方は自分で見つけ、自分の力

で切り開いていくのが当たり前であった。

ツカちゃんは、コネや付け届けが大嫌いだ。甘えや過保護も嫌う。

まあ、そのクセ子供の爪は大きくなるまで、嫌だって言われながら切っていたが。

あー、そうそう、末っ子のツカちゃんは子供にチョッカイを出してシツコイ。

まあ、自分の子供にだけだが、嫌だって言ってんのに、触ったり何か言ったりして、本気

で怒らせてたっけ。

 でも、中高生の頃から自分で病院に行き、進学も就職、結婚も自分で決めて努力するの

は、親を頼りにしないことは、彼女にとって当たり前のことなのだ。

 私が生まれ育った環境は、過保護と過干渉だった。

何の不足もなく、自由気ままに、お姫様のように育った。と母は言う。

 何をするにも決めるにも、親が決めレールを敷き、就職先にも挨拶に行き、付け届けが

なされた。

 私は、殆どモノを欲しがらない子供だったが、欲しいとなると我慢がきかずグズグズと

そればかりを言い続けた。

決して裕福ではない家庭をキリモリしていた母は、怒りながらもそれを買い与えた。

顕微鏡、世界名作全集、自転車、地球儀。

 病院にはかかったことがないから分からないが、妹は大人になっても母と行動していた。

ツカちゃんが、何事も、母親に何も報告せずに独断で決めたというのに対して、私は、

自分の希望は言うが、母の言う通りに行動し、すべてのことを報告してきた。

 それが、自分のことより私の幸せを優先する母の希望だった。って、今もだから。

私の話を聞いて、「タイヘンだねぇー」と言う人は多い。

でも、それは違う。

「シアワセだねぇー」と言う人も多い。

でも、それも違う気がする。

 

 まあ、それはさておき、私は子供の時から何故か友達が居なかった。

束縛するのもされることも嫌いな私は、気が向くと何処にでも顔を出し、気が向かなく

なると、姿を消した。

 誰かと友達になると、いつもその人と行動を共にしなければならないということが、

苦痛だっだし、今も苦痛だ。

何故か私は、嫉妬されることが多い。

これだけ有能、優秀だったり美形だったりするんだから、マサカ私にいちゃもん付けてく

ることはないだろうと思っても、あれは、明らかに嫉妬のなせる業であろうと思われる

恥知らずな真似をしてくる。

 そういう時、私に何か、人を苛立たせるモノがあるのだろうと思って自分を振り返って

みるのだが、分からない。

 自分より年下の子供、障害者といわれる人、イジメで仲間に入れてもらえない人、犬猫、

虫、動植物が、私にとって本当に心許せる友達で、草木や山、本、テレビ、映画、

顕微鏡の中が最高に楽しい所だった。

 私を認める人も居たが、すぐに疎遠になる。

小学生の頃は、それが淋しい気がして、そういう人と一緒に歩いていて二人の間を電柱が

通ったりすると、戻ってその人と同じ方から歩きなおしをしたりした。

 でも、やっぱり、間もなく疎遠になった。

今になって、その人が私を切ったのでなく、私が一人で勝手に飛んでいたんだと思う。

 飛んでる人と、歩いている人は一緒に居られないんだなぁ。

 

 ツカちゃんは、人を束縛しない。人の領域に入ってこない。親身である。でもお節介し

ない。恩義が分かる人だ。押し付けがましくなく、黙って助けになる。

 何より、ユーモアのセンスがある。って、ここで私に似ているつっちゃったら、どーよ。

まあ、ヤツとは縁があったんだねぇ。で、もって、それが嬉しい私です。

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