和歌子ちゃん

 最近知り合いになった和歌子ちゃんは、ナカナカの美人、でもって、ナカナカの切れ者。

打てば響く勘のよさと、ユーモアのセンスがある。

 あんまり誉めてばかりでは面白くないので、欠点を言おう。

正直で一本気なので融通がきかない。

見かけによらずっていうのは、明るくて屈託なんて無縁に見えるが、人に気を使い、

自己反省をする人なので、きっとちょっと疲れることがあるだろう。

人を大事にするが、負けず嫌い。

だから、失礼な人や意地悪をされて一度嫌いになると、自分の気持ちを御しきれなくなる。

 でも、きっと仕事に対しては自分の気持ちを入れないようにして、誠意をもって行う人

だと思う。

 

 彼女の職場に二十歳そこそこの女の子が入ったことがあった。

その子は、何故か和歌子に敵愾心(てきがいしん)を持った。

 和歌子の半分の年齢のその子は、何かと和歌子に突っかかり、揚げ足を取り、なんとか

自分が中心になろうとした。

 若い子がもてはやされる世の中だが、それは、遊ぶ時の話だ。

仕事に私情を挟み、仕事も満足に出来ないのに足並みを乱すようなことをすれば、

総スカンを食うのは当たり前のことだ。

 和歌子は自分が身を引こうとしたのだが、上司から、その子を辞めさせるから残って

くれと言われ、結局、その子はその職場を去り和歌子はそこに残ることになった。

和歌子は、気が強いみたいに見えるが、根本のところで優しい。

 その子が職場を去ったことで、気持ちが晴れないことがあったという。

 

和歌子には華やかな、スター性がある。

和歌子を好いて近寄ってくる人も多いが、突っかかってくる人や絡んでくる人もいる。

何故、突っかかってくるか?

その一つには、和歌子に対する羨ましさと嫉妬がある。

そして、もう一つに、和歌子が受け止める心を持つ人であることを見抜いているからだ

と思う。

 ゼンゼン親身にならない人にはしないのに、和歌子にはイチャモンを付けてくる人が

居る。

 そこで、分かってほしい、言っても無駄な人、思いやる心のない人には諦めて何も言わ

ないものだということを。

和歌子は、その人の悲しみを感じることはあったが、知らん顔をしてきた。

そういうイチャモン付けてくる人の心の傷や悲しみ、劣等感、嫉妬、悔しさ、淋しさみた

いなのものを感じても、自分とは関係がないことだと気が付かないことにしてきたのだ。

 そこに目をやることは、その人に対して失礼な気もしたし、自分に関係ないのに

絡(から)んでくることに対する“うっとうしさ”があった。

 同情する必要はない、いや、逆に同情してはいけない。

でも、思いやる気持ちは必要なのだ。

大事なのはイマジネーション。

 

生き方が甘くて人の所にケツを持ってくる人に腹が立つことがある。

その人と自分は、関係ないと干渉しないようにと思うのだが、実際に関わりがあり迷惑や

被害があったとき、そのまま見過ごすことは出来ない。

 そこに感情が入ると、心が硬くなる。硬くなると、見えるモノが見えなくなる。

曲がったことが嫌いはいいんだけど、ナニ!ってなると、周りが見えなくなる。

 見えなくなるって言いながら、見えなくしてるのは自分なんだよなぁ。

って、実はこれ、自分に言い聞かせています。

 

気持ちを外に向けることで、心は広がる。

何で?!何で!?と怒り何かを責めている時、世界はどんどん縮小し、気持ちが萎縮して

いく。

 私の落ち込みの原因は、そこにある気がする。

 

話は変わって、

 和歌子ちゃんと話していて面白かった話。

「親兄弟、友だちもそうだけど、結婚する人って何かワケの分からない縁で繋がっている

よね」って私が言うと

「実は、これ殆ど誰にも話さないようにしてるんですけど、っていうのは、オカシイ人

だと思われちゃいそうで」

と、言って話したのが、和歌子ちゃんが旦那さんと付き合っていた頃、二人で街を歩いて

いたら、彼のお父さんとバッタリ出逢ったんだそうだ。

 何故か、誰も彼のお父さんだとは言わなかったのに、お父さんだと分かったんだという。

その頃、彼と結婚する気がなかったんだけど、お父さんと逢った瞬時、

(この人と一緒にならなかったら、一生結婚出来ない!)って確信したんだそうだ。

で、結婚することになってから、彼の実家に行ったら彼のお父さんは亡くなっていて、

仏壇に置かれた写真が、街で逢ったお父さんだったんだそうだ。

 彼女が、息子を生んだ時もお父さんが息子を抱いて嬉しそうにしているお父さんの夢を

見たんだそうだ。

「旦那の兄弟に男の子が居ないから、一番喜んでくれたのかな?」って彼女が言ったけど、

ブッブー、それは違うね。

 男だろうが、女だろうが、出世しようが、しまいが、一番もなければ、ビリもない。

亡くなった人は、心も考えも生きてる人とは違うトコロに位置している気がする。

そして、孫が生まれようが、生まれまいが、それだって天の采配のような気がする。

だから、何が良いことで、何が悪いってことっていうのも、この世の都合とは違うところ

にあるような気がする。

 

 違う或る人は、昔会社に勤めていた時、新卒の男子社員が入ってきた。

でも、彼女より年下の男たちは、恋愛の対象としては見られなかった。

 その中に彼が居た。

彼とは、飲み会やボーリングなんかで一緒のグループで遊ぶようになったのだが、彼女は

弟みたいにしか思えなかったという。

 ある日、会社でエレベーターを待っていた。

チーンという音で目の前で開いたエレベーターに乗っていたのは、その彼だった。

 しかし、その彼の顔の部分はセピア色で違う顔であったという。

その顔を見た瞬間(あっ、前に一緒だった人だ)と思ったという。

 彼は、最初から彼女に好意を持っていた。

それから付き合うようになり結婚した。

 現在は、高校生になる子を頭に3人の子供が居る。

エレベーターの中で見た顔は、その時一瞬だけだったのだが、懐かしいその顔は忘れない

という。

 

 私は夫と2月に知り合って3月に結納、5月8日に結婚している。

前年には、まだ夫と出合ってもいないのに、来春には結婚すると私は宣言している。

 その話はいずれ、詳しく書きたいと思っているが、縁は結婚だけではない。

親子、兄弟、友人知人、単なる行きずりの人とも何かの形で繋がっている。

 嫌だと思い嫌悪する人とも、何かの縁があるのだろう。

自分と相性の悪い人とわざわざ親交を深める必要もないだろうが、そこにも何かがあるの

かもしれないと肩の力を抜いてみたら、生き方が楽になるかもしれない。と、思う最近の

私なのであります。

 

 面白い話は、そこいら辺にウヨウヨしている。

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