別れ話

 

 目の前に居る人を見ない人がいる。

有頂天になって、はしゃいで男の世話をする女がいる。

それを人は、甲斐甲斐しいと評する。

理想と希望を語りながら、目の前の男は見ていない女がいる。

失恋したばかりの友達の前で男を自慢し、悲しいその目にも男の目にも気がつかない女。

 

男は別れを切り出した。

「悪いな、黙って俺と別れてくれないか?」

「エッ、どうしたのよ!急に…!」

「いや、考えた結果なんだ」

「どういう事なのよ!訳が分かんないわ!」

「前々から言おう言おうと思ってて、言い出せなかったんだけど、

俺、おまえと、もうやっていけそうにないんだ」

「それって何、前からアタシのことイヤになっていて、ずっと黙ってたって事!」

「うん」

「それって、あんまりひどいんじゃないの!

言いたいことがあったら言ったらいいじゃない」

「だから、今、言ってる」

「ひどいわ! 一年も一緒に暮らして、ずっとアタシのことすきなようにように利用して

きたってこと?」

「いや、利用なんかしたつもりはない」

「だって、そうじゃない!

あたし毎日あなたの為にいっしょうけんめいがんばってきたのよ。

毎日ご飯作って、お弁当作って、お部屋きれいにして、あなたの邪魔にならないように、

いつだって気を使ってやってきたのに…」

「ごめんな、それが駄目だったんだよ。

俺、おまえといると、いっつも顔色見られてるみたいで、息が詰まりそうなんだよ」

「そんな!もう、顔色なんて見ないから、アタシもっと気を付けるから!」

「だから、それが駄目なんだって、もう俺のタメじゃなくて、自分のタメに生きて欲しい

んだ」

「だから、アタシのタメには、あなたがいなくっちゃダメなの」

「ワガママな奴だな」

「ワガママなのはあなたでしょ。わかった!女だ、女が出来たんでしょ!」

「違うよ、そんなの、居ないよ」

「いいのよ、アタシに気を使わなくたって、女が居てもいいわ。

最後にアタシの所に戻ってきてくれれば、それでいいんだから」

「何いってんだよ、いないって言ってるじゃないかよ。

まあ、いてもいなくてもどっちでもいいけど」

「どっちでもいいってことはないでしょうよ。

あっ、分かった、あの女ね!前に仕事場にいたあの女!」

「彼女は、関係ない」

「あの時、本当はおかしいと思ったのよ。二人ともゼンゼン口きかないし」

「あの人は、あんまり口利かない人なんだよ」

「そのくせ、アタシの知らないこと、あの人知ってた」

「たまたま、話したんだよ。だいたいおまえ何にでも首突っ込み過ぎなんだよ。

俺が話してることに いちいち口出してくるし、まあ、もういいけどね」

「そうやって、すぐ切るんだから、アタシが陰でどれだけ泣いてるか分かってるの!」

「だから、もういいって、終わりにしようよ」

「何で、別れなきゃならないのよ!」

「だから、ホント、申し訳ないんだけど、

おまえがそばに居ると、俺、自分の世界に入れないんだよ、苦しいの。

あと、手作りのものって俺きらいだったんだ。手編みのセーターとか重いし」

「そうやって、アタシのことずっと馬鹿にしていたのね」

「違うよ、馬鹿になんかしたことなんてないよ。

ただ考え方っていうか、生き方が違いすぎるって、気が付いたんだよ…」

「誰だって性格だって、考え方だって、生き方だって違うでしょうよ!

違う人間が一緒になって、籍は入ってなかったかもしれないけど、

それから歩み寄って家庭を作っていくんでしょうよ!」

「いや、そういうことじゃなくて、二人のために別れた方がいいと思うんだ」

「あなたは、もうアタシから心が離れちゃったんだわ。

きれいごと言ってるけど、結局あの事務所にいた女と暮らしたいんだわ」

「だから、それは、関係ないって言ってるだろう」

「アタシの何が悪いの?言いたいことがあったら言ってよ。直すから!」

「だから、そういうとこが俺はダメなんだって!俺のタメに自分を変えるなよ」

「じゃあ、変えない!別れない!」

「それは無理だな。俺はおまえとやっていけない。やっていく気がない。

でも、おまえみたいな女が好きだって男もいるよ。

頑張り屋で、几帳面で、気い使い屋のおまえみたいな女を普通の男は好きなんじゃない

かな?俺はダメだけど…。そういう男と仲良くやってくれ、頼む」

「…」

 

(男)

なぜ彼女と一緒になったのかって?

誰の目から見ても違い過ぎてたって?

そう、今となってはな。でも、違いすぎる男と女なんて何処にでもいる。

違うからこそ上手くやってる奴も沢山いると思ったんだ。

 彼女は、自分を犠牲にしても、相手の為にセッセと尽くすそんな一途な女だった。

今時珍しい女で、毎朝早く起きて朝飯をちゃんと作った。

俺が、朝飯は食いたくないんだといくら言っても、食べろと言ってきかなかった。

弁当もよく作った。部屋もきれいにしていた。毎日夕飯を作って俺の帰りを待っていた。

誰の目から見ても、きっと良い女なんだろう。でも俺にとっちゃぁいい女じゃなかった。

それが、一緒に棲むまでは分からなかった。

ビンの蓋が開けられないことが、可愛いと思えたのは同じ部屋に棲んで二週間位まで

だった。

 暮らし始めて、すぐに気付いた。

他人と暮らす資格がないのは、彼女ではなく自分だということに…。

 俺は朝、目が覚めてから、しばらく布団の中でゴソゴソする。

腰を曲げたり伸ばしたり、夢を反芻したり、枕を抱えてボーっとする。

そうすると、屁が出始めウンコが降りてくる。

おもむろに布団から出て歯を磨いていると、ウンコが出る。

この朝の儀式は、俺にとっては重要不可欠で体調ばかりか、

その日いちにちのウンコじゃない、運までを左右してしまう大事な事なんだ。

ところが、彼女は毎朝俺より早く起きるのは勝手だが、「もう起きて!」と起こしにくる。

 朝飯も無理やり食べさせようとする。

次々と話し掛けてこられると俺のペースは滅茶苦茶で、ウンコも引っ込んじまう。

それを、止めて欲しいと言ったらむくれる。

何か言う度に「あなたの為にこんなに頑張っているのに。」と怒ったりションボリしたり

するんだ。

でも、俺にとっては、怒っている方がまだマシだった。

涙を堪えて鼻歌なんか歌っていたりすると、どうしていいか分からなくなった。

仕事に遅れそうになって、あわてて出かけようとするテーブルの上に、

俺の為に作られた弁当が、チェックのハンカチに包まれて置かれていて、

俺は何事もなかったかのように「サンキュー。」と言ってドアを飛び出していくんだ。

そのとき、彼女の顔が嬉しそうになるのを見ると、俺は自己嫌悪になった。

毎日、家に帰ると夕飯が用意されていて、今日あったことの話が始まる。

それは、聞かせるためでなく、彼女にとっては、だだ話すことが目的だった。

女の目は、いつも俺を通り越して違う何かを見ていた。

俺を育てたあの女のように…。

あの女も俺のことなんか見ちゃいなかった。

俺が嫌だと言っても、口を出し手を出し、干渉してきた。

俺に気に入られたがっていながら、俺の言うことなんて聞いちゃいなかった。

あいつも、母親と同じ種類の女だってことに気付いた時は、もう遅かった。

 

今までの人生であれ程の壁にぶち当たったというか、迷路に迷い込んだことはなかった。

あのころ程いろいろと考えたことは、今までになかった気がする。

そして、俺には、生きるスタイルというか、大事にしていたことがあったことに気が付

いたんだ。

それは、俺は納得して生きたいということだ。そして自分のペースで生きたいのだ。

俺は、人を自分の中に入れたくないし、自分も人の中に入りたくない。

それは、たとえ愛する人であってもだ。

そして、人の中に入る気はないから、彼女とうまくやっていけると思ったのは、

誤算だったことに気が付いた。

彼女は、何でも俺の意見を聞いてきた。というより、俺に決めさせたがった。

「あたし、〜〜していい?」と聞く、

「好きにしろよ」と俺が言うと、

「やさしいのね」と言った。

俺は、優しい訳じゃなかった。どうでもよかったんだ。

些細なことは自分で考えて、自分で答えを出したらいいと思った。

そういうことが、何度かあってついに

「いいかどうかは、自分で決めろよ」と言ったんだ。

「なんだか、この頃冷たい!」と彼女は言い、その時、俺はもう気が付いていた。

彼女は、俺とは違う人種だと。

食事に行っても、話したいことがあるなら別だが、俺は基本的に黙って食べたい。

何処に行っても、クールでいたい。熱いときには熱くなりたい。

 しかし、彼女はたわいもない話を延々と続ける。

まるで話が途切れることを恐れるかのように…。

ドライブに行っても景色を見ているとは思えない、そのくせ、自分の見たものを、

見て見てと、全て俺に見せようとする。

そして、俺は、考え事も出来ない。

本当に俺は、気取るつもりはないが、へらへらせずにポーカーフェイスでいたい、

若しくは、ボーとしていたい。

しかし、彼女といるとそれが出来ない。

放っておくと、怒る、しょげる。相手をするとはしゃぎだす。

俺が、熱くなって語りだすと「楽しそうで良かったわね」とか

「自分の好きなことだと、よく話すわね」と話の内容を聞いてはいなかった。

 一つのことが嫌になりだすと、全ての歯車が狂い出した。

部屋を片付けるのはいいが、俺の物にも手を出してきた。

そして、「あたしが、いないと何も出来ない人ね。」などと言うんだ。

仕事をする順に並べておいた書類を、大きさ順に揃えられていた時は、

そうなることが分かっていながら怒鳴っていた。

「俺の物は触るなと、何度言ったら分かるんだ!」

「だって、喜んでくれると思ったんだもの!」

「こういうことをされると困るんだよ!」

「あなたが、だらしないからよ!」

「俺には俺のやり方があるんだ。頼むから俺の領域には入らないでくれ」

「あなたは、わたしを愛していないのよ!」

俺の言っていることに対する答えが、彼女から返ってくることはなかった。

 

あたしを好きだったら、許してくれるはずよ。

あたしも、やってあげているんだから、あなたもやってくれてもいいじゃない。

彼女は、俺の顔色をうかがいながらも支配したがり、優位に立ちたくていた。

人は誰のものでもない。

俺は誰も支配したくないし、支配されたくない。

 

ああ、事務所にいた女とは本当に何もなかったよ。

でも、あの女は本当の大人だったよ。あの女とだったら一緒に暮らせそうな気もした。

だけど、それは俺が、その女を求めなければの話さ。

俺は、負けるのは嫌だ。だから、戦わない。

求めるということは、俺にとっては負けだ。その女には、負けるような気がしたのさ。

分かるか?

だから、あの女とは、これからも、何もないだろうよ。

 

 (女)

 結局、あの人は最初から最後まで、あたしのことは見ようとしなかったし見てはいなか

ったの。

あたしを、同じ所には置いてはくれなかった。

そりゃあ、あたしだって淋しくって、腹が立ってさ、あの人が嫌がることもしたと思う

けど、みんなあの人が悪いのよ。

いっつも、何、考えてるのか分からないし、すぐに自分の世界に入っちゃうしさ。

一緒にいても、それはすぐに分かった。

っていうより一緒にいたから分かっちゃたんだよね。

あたし、淋しかったのよ。どうしようもなかったのよ。

あの人が喜んでくれると、それだけで嬉しかったのよ。本当よ。

あの人が喜んでくれることだったら、何でもしてあげたかったのよ。

女がいたってよかったの。あたしを見てくれるなら。

だけど、あの人があたしを見ることはなかった。

何時だって、自分だけで勝手に面白いもん見つけては、夢中になってた。

それでも良かったのに、あたしは、あの人を見ていたかったのに。

そして、ほんの少しでいいから、あたしを見て欲しかった。

あの人は、あたしがいなくなっても、きっと困らないし、きっと淋しくない。

 それだけが、くやしい。

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