野 球

 

 今の世の中は、形が先にきすぎると思うんだよ。

それって、ある意味豊かだってことなのかなあ。

今、釣りをやろうとする人って、形から入るんだよね。

釣竿とか着るものとか、その他の道具とかさ。

 昔、昔といっても、今から四十年くらい前の頃なんだけどさ、釣りをやりたいと思った

ら先ずは道具作りから始めたんだよね。

うちが、金持ちじゃなかったからかもしれないけど、その辺の山や土手から竹や篠を

取ってきてさ、そこにスルメだとか煮干やみみずなんかを付けてさ。

糸は母親の裁縫箱から貰ってさ。「今夜のおかずは魚だね。」なんてからかわれながら、

それがまんざらでもなく小川やタメに出かけたものさ。

スルメが餌だとザリガニは入れ食いなんだけど、生憎私はスルメが大好物で滅多に餌に

出来なかったっけ。

蛙のやつなんかは、餌でなくたって目の前で何か動かしてやると、それだけで食い付い

てくるんだぞ。

 最初はザリガニや蛙から始まった釣りだったけど、それはもう楽しくてわくわくして、

心臓の音が聞こえてくる位だった。

そこにはいつも、自然が流れ、季節の風が吹き、一時として同じではない心と時間が

一緒に流れて動いていた。

 そして、道具がないからそこに在る物で工夫し、誰かに何か教えてもらったりすると

素直にその人を尊敬した。

時として手に入った安物の釣竿のなんと素晴しかったことか…。

懐古趣味で話しているのでなく、(いやごめん、少し、いやそれは多分にあるかも…。)

で、何が言いたいのかっていうと、気持ちや心が核で、形はそこに現れるものだと

私は思うんだ。

それが形から先に作っていこうとする現代に、僕は何だか嫌なものを感じているのだ。

こういうことを言うと、必ずのように「今と昔は違うんだ」と言われる。

それで人が幸せなんだったら、それでいいと僕は思う。

でも、…。

 

そんじゃあ聞くけど、あなただったらどちらの野球部に入りたいですか?

 

まずは第一高校の野球部

 野球で有名な名門校で、その学校に在籍していたというだけで名誉な学校、その名を

聞けば知る人ぞ知る、知らない人は分からない。「あたりまえだっちゅうの!」

その学校にはその筋では有名な指導者が居るんだそうで、その野球部を目指して部員も

どんどん入って来る。

しかし、やる気のない奴は何時でも辞めていいぞと、厳しいしごきが待っている。

そこで耐えられない者は、どんどん脱落していく。

野球が好きで入った筈なのに一年間は体力作りとやらで、野球はやらせてもらえない。

先輩たちのボール拾いとコート整備に走りこみ、体力作りのメニューとやらを黙々と

こなす日々が続く。

上下関係も“異常”に厳しく、寮に入った者にはいじめが待っている。

そこで精神的に参ってしまった奴が毎年出てくる。

寮に入らなくてもいじめとしかいいようのないことが沢山ある。

特に才能のありそうな者と生意気そうな奴には集中攻撃だ。

助けてくれるものは誰もいない。でもここを頑張って乗り切れば、来年後輩たちに仕返し

が出来る。だから、それまでの辛抱だ。

 自分の野球部から脱落者が出れば出るほど、自分の出番の確立は高くなる。

だから、チーム仲間の脱落は、他のチームの失敗より嬉しかったりする。

 しかし、甲子園に出場するために足手まといになる失敗は許さない。

「それって、本当に仲間か!?」

試合では、自分が目立ちたいが為にバントすべき時にもバットを振り回してしまったり

する。

「だって、中学までは主役で認められて有望だって言われてきたんだぜ。

脇役にはなれないよ。」縁の下の力持ちはする気になれない。

家族は一家総出で応援し、学校のやり方にも口を出すから、先生はやりずらくって仕方が

ない。

そして、いくら断っても父兄からの付け届けが後を絶たないが、中には付け届けが当た

り前になっている先生もいて、練習中に「この間のメロン美味かったぞ」なんて言って。

親は子供に言う。

「あんた、もう勉強はそこそこでいいから、野球頑張るのよ!

もうあなたは、野球やってれば間違いないんだから。」

 しかし、無理が祟(たた)ったのか、膝の調子がずっと悪かったのが、我慢出来なく

なってきた。

いい整体治療院があると雑誌で見つけて、母親に連れられてその病院に行って驚いた。

同じ学校から何人もが通って来ていたんだ。

そこで思った。「この病院は本当に効くんだ。」と。

事実、二、三回の治療でみるみる膝の痛みが軽くなった。

母親が「確か、村井君も肩の調子が悪いって言ってたわよね、教えてあげたら?」と

言うと「やだよ」と息子は言った。

「どうして?」と母親が聞いたら

「だって、誰も俺に教えてくれなかったし、俺も誰にも教えない。」と答えた。

きっとこの治療院のことは他の部員には漏れないだろう、誰も教えないから。

 そこの治療師が言った。

「スポーツは健全なものの筈なんですが、今のスポーツは身も心も病んでいる気がします。

それに、少しでも欠点があるとそればかり気にして、例えば身体が硬いともう、

それだけで駄目だ駄目だって言っちゃうんですよね、本当に駄目なんでしょうかね。

僕は、逆に素晴しいって言うんですよ。硬くてもここまで出来るんだから、

柔らかくしていけばまだまだ伸びるよってね。

可能性には、限りがないと思うんですよ、僕は…。

身体だって心だって、何だって、誉めたほうが伸びるのにね。」

 第一高校はその学校を出たというだけで名誉であり、そこで野球をやっていたことは

就職活動にも大学入試にも有利である。にもかかわらず、その後野球を続けるものは

少ない。

 

 そして第五高校

 無名な学校って無名ってことはないよな、名もなき花なんていうけど名前はあるんだよ。

ただ、あんたが知らないだけのことさ。自分の無知をさらけ出すなよってか?!

もとい、あんまり名前の知られていない学校。まあ、事実なんだから仕方がない。

 そんでもって、そこの野球部ってのが、これまた奥ゆかしい存在なんだな。

顧問兼コーチの先生ってのが、そこいら辺のおじさんみたいな人でね。

でもね、野球が好きで、好きで、先生になっちゃたような人でさ。

「下手でもなんでも、野球が好きなやつ、興味のあるやつ、みんなこい!」ってなもんで

そこに集まるやつは、少々変なやつも居たりするんだ。

「最初は、ボールを好きになって慣れるってことが大事なんだ。

何でも、習うより慣れろ、好きこそものの上手なりっちゅうんだ!」なんて言っちゃって

さ。

先輩たちは、「また始まったよ、おい」ってな顔してる。

でもって最初は、本当にルールもへちまもあったもんじゃねえ、投げて打って、拾って

投げて、毎日、毎日、暗くなるまで真っ黒になって走り回って。

時々、先生がラーメンなんか奢ってくれたりして、これが「うまい!!」

もう、こうなったら水だってご馳走だい。

 父兄は関心がないから、口も出さなきゃ、手も出さない。

だけど、面白くって走り回っているうちに、何だか体力がついてきちゃうんだよなあ。

そんでもって、野球ってやつを身体で分かりだすと、もっとレベルアップしたくなっちゃ

うんだ。

そこで、みんなで頭寄せ合って、無い知恵しぼっちゃってさ、トレーニングメニュー

なんか作っちゃう。先生って、案外知ってて凄いよ。

 下手は下手なりに楽しくて、上手いは上手いで楽しくて、野球部だってのに野球やんな

いで人の世話だけしてるやつがいたりして。

音楽だとか映画だとか車の話とか、話せる仲間がいるってしあわせだよな。

変なやつほどやけに物知りで面白いやつだったりするね。

 野球ってのは、試合するようになると更に面白いね。勝ったら最高嬉しいし、負けたら

みんなで悔しがって、青春だあね。だあね。

 合宿は半分遊びみたいなもんで、でも朝はちゃんと起きたぜ。

夜は疲れちゃって起きてなんかいらんねえよ。

 家族は「そんなのやってても何の役にもたたない、少しは勉強しろ!」とか言いながら

「でも悪いことするよりましか…。」ってその程度の関心で。

結果は強くなっても、弱いまんまでもどっちでもいいんだよな。

その時を楽しんだらそれが答えだ。

そして、卒業。

学校の名前言って、野球部だったって言っても「野球部あったけか?」なんて言われ

ちゃうんだ。

だけどやっぱり野球が好きで、会社に入ってからも野球同好会なんて作っちゃったり

してさ、たまに昔の仲間と会って思い出話に花を咲かせる。

一緒の時を過ごした仲間っていいよな。

結婚して子供が男の子だったら野球教えようなんて思ってる。

そういう人は、きっと教えるとき、厳しくてもやさしくて、息子もお父さんと一緒に

野球が好きになっちゃうね。

 「おいおい、話は何処まで行くんだよ。」

おっと、失礼。

それであなたは、どっちの野球部に入りたいですか?

入れるとか、入れないじゃあなくて、入りたいか?って、聞いてんだよ。

何?罠だって?そんな学校ないって?ふふん、さあどうだかね。いいから答えてみなよ。

え!?自分は第五高校で、子供は第一高校だって?そりゃあねえべ。

子供の行きたい所は、子供が自分で決めるんだ。

 なあ、ここらで大人がしっかりしないといけねんじゃねえか?

見て見ぬ振りの寝たきり地蔵はおしまいにしねえか?

思うんだけどよ、みんな自分は本当はどうしたいのか、

もう一度考えてみたらいいんじゃないかと思うんだ。そして自分が決めるんだ。

他人の評価とか、親の希望じゃなくて自分はどうしたいのか、どう生きたいのか、

そして自分に恥ずかしくない生き方を見つけないと…。自分の人生なんだから。

 

この話をあるオッカサンにしたら、

「うん、成るほどね。分かるわよこの話は、だけどね、うちの子は普通の子とは違うの、

才能があるの、普通の子と一緒になって普通のことしてたらその才能が勿体ないで

しょ!? やっぱり名前も分からない学校に行くより、名の通った良い指導者の居る学校

に行かしてやりたいわね。それが、親の務めってもんよ。

そりゃあ厳しいところに行くより楽なところで楽しくやりたいでしょうけど、

だけどその時は大変かもしれないけど後で感謝する時がきっと来ると思うわ。

ここで頑張らせるのが親の愛情よ!」出ました切り札、愛情。

「所詮、あなたは他人事だからそんなこと言えるのよ、あなたのとこの子もうちの子みた

いに才能があったら私と同じことすると思うわ!

結局、今の学校が悪いのよ、でも今すぐ変えようったって変わらないし、大体うちの子に

は間にあわないわ、兎に角、絵空事語っている暇はないのよ!」

 

あー、どう言ったら通じるのか…。でも、そこで、沈黙は金だった。

僕は決して有名校を否定しているのではない。しかしそこに起きていることは事実だ。

そして、そこに居る子供たちが幸せだとは、僕には思えないのだ。

友達(友達といえるのか?)を出し抜き、蹴落とし、その不幸を喜び、助ける気はなく

見殺しにする。自分さえ良ければそれでいいと思っている人間、なんて淋しいのだろう…。

そんな自分を好きになれるのだろうか?

 

世の中は変わらない、変えられないという人がいますが、そうでしょうか?

僕は、変えられると思っています。変えられると思う人が、世の中を変えてきたのです。

みんなで、こういう世の中にしてきたのです、また、違う世の中にして行けますって。

出来るか出来ないかではなく、するかしないかです。

失敗をすることが出来た人(出来たのです)は、それを償い、正すことも出来る人だと

思うんです。

罪を犯した人は、償う力も持ってる筈です。

間違いに気付いた時、それからが勝負!

でも、なんでも一気にはいきませんよ、そしていけません。

なんでも一度に変えようとすると荒療治になってしまいます。

ファシズムとなります。無理はいけません。

あんまり先を見すぎず、今出来ることをあせらずあわてず、心を込めて一つずつ、です。

でも、時々顔を上げて希望を持って、目標を確かめながら…。

            あなたの “おまもり”のためにね。

 yakyu.htm へのリンク

あとがき

(1997年)に書いたものです。

これを読んでいいと言う人あり、気分悪いという人あり。

あなたは、如何でしょうか?