ヤスコ

 

 ヤスコ、39歳。夫、42歳。子供2人、小学5年生男、2年生女。

 

ヤスコは教職に就く両親と優秀で両親自慢の兄の4人家族で育った。

幼い時から突飛な行動をするヤスコは両親にとっては悩みの種だった。という。

 親戚の集まりに出ることは許されず、来客中はその前には出ないように言われてきた。

結婚も兄の大々的な式と披露に比べ、ささやかで地味に行われた。

 何かと差別を感じて生きてきたが、ヤスコの長男にわずかだが障害があることを知って

からの両親の態度には悲しい位淋しいものがあったという。

「でも、毎日明るく学校へ出かけて行ってくれる息子をみると、自分も頑張ろうと思うん

です」と彼女は言う。

だが、最近の娘の反抗が激しい。お兄ちゃんがよく面倒をみてくれているのに、

そのお兄ちゃんにも酷いことを言うようになり登校前に暴れるので、

ヤスコは洋服を着るのを手伝い靴下まではかせてあげて学校の途中まで送って行いって

あげてる。のだという。

 

 ヤスコは親に、特に母親に会うのが負担だという。

一緒に歩いていると、「知っている人が来たから、あんた隠れなさい」と言われる。

 用事があって実家に行っていても「化粧もしてない顔で出てこないで」と言われる。

何事につけても否定的で、親に会った日は、後でコッソリ泣くのだとヤスコは言う。

 子供たちもいうことをきかなくて、怒鳴ってばかりの自分が嫌になるのだというヤスコ

は、疲れた顔をしていた。

「ね、どうしたらいいと思いますか?」と彼女は聞いた。

 

「思うに、『その人に戻したらいい』んじゃないかと私は思う。

そして、『形に囚われるのをやめる』こと」と言うと

「どういうことですか?」と彼女。

「あなたの母親が何か“言った時”言われたんじゃないよ、母親が言ったんだからね。

普通は気持を伝えなさいっていうけど、あなたの場合は、あなたの気持を伝えるよとうと

するんじゃなくて、本人に返したらいいと思うな」

「どういうことですか?」

「それは、先ずはあなたが“言われた・やられた”っていう被害書意識を持たずに、

“この人は、こう言っている・そうしている”という事実だけを受け止めるの」

「はい」

「『隠れなさい、出てこないで』と“言われた”んじゃなくて、“言った”の。

そしたら、それをその人にそのままお返しするの

『あなたがそう言ったことで、今、私がどういう気持ちか分かりますか?』って」

「何だか、涙が出ちゃう」

「泣くな、しっかりしろ」

「はい」

「『知り合いが来たからあんたは隠れてなさい』って言ったら、『あなたは、』まあ

『おかあさんは』でもいいけど『私が、今、どういう気持ちか、分かりますか?』

って言うの」

「言えるかしら」

「言える。言うの」

「はい」

「そしたら、黙る。

ハッキリ言うけど、ヤスコさんは話が下手。話せば話す程要点から離れて行くカンジ」

「そーなんです」

「ココんとこにある気持が見えなくなっちゃう」

「そーなんです」

「だから相手に返して、自分で考えさせよう。

きっと、お母さんはあなたを言いくるめてきたんだと思うよ。自分の都合に合わせて。

なんだって?!

美男子で優秀なお兄ちゃんは何処にでも連れて行って、そうでないあなたは居なかった

ことにするって?

それって、人として最低の行為だと私は思うよ。

自分が悪かったからって、あなたは言うけど、自分を否定することで人を責めないように

してきたんじゃないの。

もうここらで本人に返してやりなよ。

自分のしていることが、してきたことが、どういうことだったのか、考えるのを」

「はい」

「その後は黙るんだからね。

相手が何か言ってきてあなたが反応したら、必ず自分の都合のいい方へ持っていかれる

からね。一発勝負だよ、お母さんの目を覚まさせるのは」

「はい」

 そこからは彼女が動かなくても母親が自分で動いていくと私は思った。

 

「あと、形に囚われないっていうのは、子供たちのこと、外で遊んでいてくれたら

それだけでいいって言ったでしょ」

「はい、子供たちには外で元気に遊んでくれるだけでいいんです」

「それって、あなたの理想で子供の気持ちじゃないよね」

「でも、下の子は雨でも喜んで走り回っているんですよ」

「本当に喜んでるのかな?

あなたに喜んでもらいたくて、本当は出たくないのに外に出てるってことはないかな?」

「そんなに考えたら、どうしていいか分からなくなっちゃいます」

「勉強しなくてもいいってお兄ちゃんに言ってあげてるって、さっき言ったでしょ、

だけど、勉強するかしないかそれを決めるのは本人だと思わない?

これがいい、っていう形を先に作っちゃってそれに合わせさせる。っていうのは

ハッキリ言って形は違ってもあなたのお母さんと同じことをしてるんじゃないかな」

と言いながら、自分も自分で決めるようにと言いながら、結局私の気持ちを押し付け

てきたのではないだろうか、ホントは、こんなこと言える立場ではないと思う。

 思いながらも、語るんだよなぁ。

「形はその時によって色々で、答えってのは一つには決まってないんじゃないかな。

あと、アイメッセージっていうのがあってね。

『I・私』を表現することで『YUО・相手』を意識して話すことが出来る、他者性を

持って付き合うことが出来るようになる。っていうんだよね」

「“私”、ですか?」

「そう、私はどういう気持ちで、どうして欲しいと思っているかを伝える。

例えば疲れて家に帰ったら家の中がゴチャゴチャだった時

『お母さん、こんなに頑張ってきたのに、何で片づけてないのー!』じゃなくて

『お母さん、疲れてるんだぁ。ここが散らかっててイヤだから片づけしてくれる?』

って」

「あれっ、見てました?

いつも『片付けなさい!』って頭ごなしに怒鳴って、『お母さん疲れてるのにー!』って

キーキーしちゃってるんです」

「そうかぁ、ということは、あなたの言動が変わった時に子供達がどう変わるかが見もの

だね」

「そうですね、楽しみ〜」

と、嬉しそうに帰って行った。

 

 こういう話をした時、

「そんなの出来ません」とか、

「やっても変わりませんよ」と言う人が居る。

が、変わるかどうかまで望んで行うのは、欲張りじゃないかと思う。

 どんな小さなことでも出来ることを一つやってみたらいいんじゃないか

と私は思う。

“千里の道も一歩から”だし、生きてるってことは、何時からだって始められるって

ことだと思う。

 

 で、困るのが、「あなたは、何の苦労もなくて家族円満なんでしょうね」と言われること。

あー、そうか、そう思われるのかぁ。と思う。

 

そこで言うが、何時でも全力投球、精一杯考えて出来ることをやってきた、つもりだ。

が、しかし、精一杯やったつもりのことが間違いだったと気が付くことがある。

一番ガビーンと落ち込むのが、それが相手を傷つけたり、知らずに人の領域に入り

込んでいたと気付いた時だ。自分が嫌になって煙になって消えてしまいたいと思うだ。

 この、気がつかないでというのは、致命的でしばらくは人と会うことが怖くなる。

ついこの間も娘が話してきたことに私の見解を得々と喋っていたら

「どうしてそこまで分かるの?」と娘が言った。

 あー、分かった風に話している自分。と思ったら落ちた。(バッキューン・ドサ)

 

 そこで、ムクムクと立ち上がるには、時間というクスリと、「こういう自分をトコトン

嫌になって、この次はこういうことをしないように頑張る」と自分に言い聞かせる。

 なんたって、シッパイばっかりしている。

シッパイする為に生まれてきたのか、って位に。

 きっと、死ぬまでシッパイと反省しながら生きるんだろうな。

でも、シッパイして自己嫌悪になるから少しは人の気持ちが分かるんじゃないかな。

                                  なーんてね。

 

 

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