夕焼け(不思議な話)

 

 20年近く前、現在29歳の子が小学生だった頃の話です。

現在52歳の私は更年期で体調が悪く疲れているが、当時の私も常に疲れていた。

 

夏のことだった。

仕事の関係上、冷房のきいた場所で一日中立ち仕事であるためか、夏場は特に体調が悪

くなる。

夏の夕方は、駐車場の横にある花壇に水を撒(ま)くのが、唯一の気分転換だ。

私は、その日も日の高いうちから早々と花壇に水を撒いていた。

 まだ火照っている白い土に水を与えると、見る見る黒く染み込んで、辺りの空気も一

度に冷えていくようだった。

 

 駐車場に1台の車が入ってきた。

近くの団地に住むO山さんだった。

「あら、水撒きしてるの、久し振りね、元気だった?」

「うん、まあね」と疲れていた私は答えた。

「あなた、仕事熱心もいいけど、命あってのモノダネだからね。

いつ何が起きるか分からないのが、人生だからね」

「何の話よ」

「あのね、私の団地の旦那さんが、ついこの間、朝、行ってきますって出かけて夕方には

事故で亡くなって帰ってきたのよ。

奥さんは、あんまり突然のことで気が狂ったようになっちゃて、お葬式では腑抜けの

ような状態で、子供さんに2歳と4歳の娘さんがいるんだけど、まだ小さくて意味が分

からないから、お葬式で沢山人が集まって来たから嬉しくなっちゃったんだろうね。

はしゃいで歌なんか歌い始めちゃって、それが可哀想で見ていられなかったわ。

人の運命って、いつ何が起きてどうなるのか…、誰も分からないのねぇ」

 O山さんは、その奥さんは私に似ているのだと言った。

元気で頑張り屋で、気が強そうに見えるけど面倒見が良くて、涙もろいのだそうだ。

 私も二人の娘が居て、ほんの5、6年ほど前の娘たちと自分と同じ位であるその人の

話を、人事とは思えなかった。

 

 それから何日かして、またO山さんがやって来た。

「忙しいのに変なこと聞いていい?」と彼女は仕事をしている私に遠慮しながら言った。

「いいわよー、どうしたの?」

「この間、近所のご主人が亡くなった話したでしょ」

「ええ」

「あの後、そこの奥さんのことが気になって、お節介だとは思うんだけど、子供たちの

オヤツや食事を運んだりしたのね」

彼女は、いつもワタシの身体を気遣って心配してくれる人だった。

食欲がないと言うと、手作りのゼリーや中華チマキを作って持ってきてくれたりする人で、

きっとその奥さんのことも気に掛け心配して、行ったのだと思った。

私より5歳ほど年上のO山さんは、色白で長いまつげを気弱そうに瞬(しばたた)かせ

ながら、関西風の優しい話し方をする。

「それで、彼女、誰にもこんなこと言えないんだけどって、私に話してくれたんだけど、

ご主人が亡くなってから、夜明け頃になるとご主人が枕元に立つんだって。

悲しくてどうしようもなくて眠れないんだけど、疲れてふっと眠るのが夜明け頃で、

そうすると亡くなったご主人が枕元に立つんだって。だけど、何故だか隣に女の人が居る

んだって、それはどうしてなんだろう?って、思ったんだって。

それから、事故を起こした加害者が、お線香をあげさせてくれって言ってきてたんだ

けど、奥さんはどうしても嫌だから来ないでくれって言ってたらしいのね。

 でも、加害者の人もそうとう憔悴してるからお線香だけでもあげさせてやってくれって

間に入った人に頼み込まれて、一週間位してから彼女の家に来たんだって。

 それで、玄関が開いて知人に連れられて立っているその人を見て、彼女、思わず声を

あげちゃったんだって、その人はご主人の横に立っていた女の人だったんだって。

顔がそうだとかじゃなくて、その人だって分かったんだって。

 それで、それって何なんだろう?って、彼女は言うのよ。

何でご主人はその人を連れて奥さんの枕元に立ったんだろうって…」

「んー」と言った瞬間に、私が思ったのは、

その女の人は、もう生きる気力がなくなっていたんじゃないだろうか、絶望でこの世

との縁が切れかかっていたんじゃないだろうか、それを亡くなったご主人は許して助けて

あげて欲しいと奥さんに伝えたかったんじゃないかと思った。

 ご主人は、少し頑固なところはあったが、気の弱いところがある優しい人のような気が

した。

 これは、私の想像なのかどうか分からないが夢の記憶でもあるかのような映像が見えた。

西側に面した玄関、大きな石が置かれている門からの間には植木が生い茂り、その彼女が

新しくない家の引き戸を開けて入ってきた瞬間に、夕日が後ろから射し込んだ。

 その人の家を私は知らなかったが、O山さんの家は知っていた。

その近所の家であるということから、そういった想像映像が見えたのかもしれないが、

玄関が西側にあって夕日が射し込む家ばかりが、あるわけではない。

 

 その話をO山さんにすると、

「そうよ、まるで見えているみたいに、そういう作りの家だわ」と彼女は言った。

  私は、何故こういう話が、次々と自分のところに来るのかと思う。

 

そして、それは、何かを伝えてくれと言ってるような気がする。

(もう、いいよ。苦しまなくていいよ。恨まなくていいよ。

楽になって自分を見送ってください)と何かが、言っているような気がするのだ。

 それは、自分の中で作り上げているものなのかもしれないと思いながら、その何かに

私が、助けられてきたということも、紛れもない事実としてある。

 その伝えて欲しいと言っているような気がすることを、O山さんからその奥さんに

伝えて欲しいと頼んだ。

 そのことが事実であってもそうでなくても、その奥さんの心が少しでも楽になることは

ご主人の想いであると思った。

 

 その加害者となった女性は子供を連れて離婚し、大型トラックで長距離の運転をして

いたのだという。

激務の疲れからの居眠り運転によって、ノーブレーキで車の横に激突し、ご主人は即死

であったという。

 

 その日の朝、ご主人は、

「今まで有難うね。秋になって涼しくなったら家族で旅行にでも行こうよ」と言って

出掛けていったのだという。

 

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