座布団カバー

 

 店の客で、座布団カバーを探す人が居た。

枚数があって安くて、地味な色の物が欲しいのだという。

 一緒に探していたが、倉庫代わりにしている電車の棚にも座布団カバーがあったことを

思い出して、その客と一緒に移動した。

 いつもそうなのだが、後から事情が分かってそういうこじ付けをするのか、聞いた話

から推理してそういう情景を感じるのか、私は無意識のうちに何だか何かを感じる。

 その人と最初に話し始めた時、(あーあ、又か)と思った。

電車に移動して、その人と二人きりになってから言った。

「私の所って、よく四十九日の人が来るんだよね」

「えっ、どうして分かったんですか?」

「どうしてだか分からない。

でも、何だか、何かが言ってる気がするんだよね、何だかわかんないんだけど、何かを

伝えて欲しいって言ってる気がするんだよね」と私は言った。

 

 まあ、ここで推理すると、その人が座布団カバーを探していることで無意識のうちに

四十九日の推理をしたのかもしれない。

 でもその前に、その人の顔を見た瞬間に死の恐怖にトリツカレタ人の鬱状態であると

感じた気がする。顔がすすけて、目が死んでいた。

 私は、考えてそういうことになるのではない。

何だかそういう気がして、何だかそうしないといけない気がしてズルズルとそういう人と

関わりを持つことになる。

 

 その人に話を聞くと、亡くなったのは隣の奥さんで神式なのでその日が49日目で翌日

が五十日祭なのだそうだ。

 神式では、人は亡くなって49日を過ぎると神様になるので50日目はお祭りになる

らしい。

 仲良くしていた奥さんで、最後まで面倒を見たが亡くなって明日の集まりも何とか面倒

を見てあげようとしているらしかった。

 

 ここからは、私の推測推理になるのだろうか、何処までが彼女に聞いて知ったことで

何処からが推理なのか、よく区別がつかない。

 ただ、彼女に「その通りだけど、その話はしてないと思う」と何度か言われた。

まあ、何でもよかろう、大事なのはそこに何の意味と教えがあるのかで、それを思えない

人は不幸だと私は思う。

 

 彼女(冬子)は離婚して子供を連れて移り住んだ所の隣に住んでいたのが、亡くなっ

た彼女(春子)だった。

年も近く、好みも似ている二人はすぐに仲良くなった。

子供もまだ小さく何かと助け合った。

春子は、甘えん坊なところもあるが、気前がよく優しい。

冬子は、がんばりやで負けず嫌い、ズルイことが嫌いで弱音を吐かないが、ちょっと

劣等感が強い。(これらは、そういう気がするという話だ)

 10年以上、二人は仲良くやってきた。

まあ、ちょっとした気持ちの行き違いは、あることはあっただろうが…。

 それが、1年程前、春子が倒れた。春子は半身麻痺で車椅子になり立てなくなった。

春子の夫は仕事が忙しく、子供は息子が一人だけだ。

まだ中学生の彼女の一人息子は、春子の面倒は見られなかった。

冬子は、出来るだけ春子の面倒を見た。

春子は、自分が困っていた時、どれだけ支えになってもらったか分からない人だ。

しかし、冬子が50になった頃で、更年期による心身の不調と、仕事の関係で大分

疲れがたまっていた。

 冬子は、自分が仕事をしないと暮らしていけない。

春子が風邪をひいた時は、自分の身体の不調と疲れから、春子に風邪をうつすといけな

いから面倒を見にいけないと断った。

 すると、冬子の息子に来て欲しいという。

自分の息子にいくら母親と同じ位の年であっても、面倒は見させられないと冬子は

マスクの上にタオルを巻いて春子の家に行ったという。

 何故そこまでするのかと知らない人は思うだろう。

他所から何だかんだと言うのは容易い、でも、そこにある事情や想いは当人にしか分か

らないのだ。

 だったら、人に聞くなよ、愚痴をこぼすなと言われるだろうが、苦しいのだ辛いのだ

から仕方がない。でも、逃げることは出来ない事情と感情がそこには存在する。

 それをシガラミというのだろう。

 

 冬子の中には、春子に対する友情があった。それと同時に羨ましさもあった。

可哀想だという同情もあった。と、思う。

 しかし、疲れと行き詰まり閉塞感、春子の家族に対する不満が出始め、

何時までこういうことをするのか?と思い始めた時、救急車が隣に来た。

 今度倒れたら危ないといわれていた春子が倒れた。

その時、あー、これで私も楽になれると思う自分が居たと冬子は言った。

 その後、病院に搬送され、苦しんで春子は逝った。

その春子の50日祭が、明日行われる。

 

 そこに座って居る冬子は、自分を責め自分にもあの死がいずれ来るのだという不安と

恐怖にトリツカレテいると、私は感じた。

 と同時に、亡くなった彼女春子が伝えてくれと言っている気がして仕方なくなった。

春子はこう言っている気がした。

「アリガトウ、あなたにはホントウに感謝している。

苦しくて辛くてあなたに甘えて感情をぶつけてしまったこともあった。

でも私が辛い時、我が事のように親身になって考えてくれていたことも知っている。

あなたの負担になっていることを申し訳ないと思いながら、どうしようもなくて迷惑を

掛けてしまってゴメンね。

私の苦しむ姿を見せて、あなたに不安と恐怖の種を置いてきてしまった。

でも、もう今は苦しくないよ、楽になったよ。

大丈夫、安心して、信じて下さい。信じれば楽になれる。

死は、神が与えてくれる、信じて任せればいい。

あなた、今、あなたの調子が悪いのは、私があなたを嫉妬して引っ張ろうとしてるん

じゃないだろうかなんて、考えてはいないでしょうね。

 私は、ホントウに楽になって清々しい状態です。

そして、あなたに一つお願いがあるの。

私が苦しんだことや辛かったことを思い出して泣くのはオシマイにして欲しいの。

あなたと私は、ホントウに仲が良かった。楽しかった。

買い物に一緒に行ったり、食事に行ったり、手作りの物も競争みたいに沢山作ったね。

あの時に一緒に見た花、覚えている?きれいだったね。

死んでしまったからって、あの時のステキな時間が消えてしまうんじゃないよね。

私はあなたが大好きでした。そして、あなたに出逢えたことに感謝しています。

いろいろ、アリガトウね。

私は、死んでも生きています。死は恐怖でもなければ苦しいことでもありません。

だけど、生きていることは、もっとステキなことです。

今を大切に楽しんで生きて下さい。心配しなければ、もっと楽しく生きられます。

ホントウですよ。

若し信じられないなら、小さなことで有り得ないことを、あなたの前で起こして見せます。

それは、すぐにかもしれないし、忘れた頃かもしれません。

でも、それは誰にも言っては駄目ですよ。

 ホントウにアリガトウ、私は幸せです。

だから、あなたが幸せになることを羨んだりすることはありません。

何も心配しないで今を楽しんで、幸せに生きてください」

 

と、まあそういうことを言っているような気がしたわけだ。

それで、そう伝えたら自分の胸に清らかな水が入ってきたような良い気持ちになった。

ちゅう話です。

 だから、何なんだ!?って言われたら困るんだけど、何だか生きる秘訣っていうか

幸せになる極意ってそういうことなのかなぁ。って思ったワケ。

 で、最初に冬子さんの顔に罹っていたすすけた陰が消えたんですよ。

何なんでしょねぇ。    ねぇ。

 

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