じゅげむ

 

 今、山小屋の下で、七夕で飾った笹と、願いを書いた紙を、枯れ草と一緒に燃した。

爽やかな風に乗って、白い煙となって、願いが水色の空に流れていった。

 

私はどういうワケだか、七夕で願ったことが100パーセント叶っている。

叶うことを願っているということも考えられるが、本当に叶っている。

子供の頃から心に余裕のある大きな人間になりたいと願い続け、心の平安を願い、

結婚して女の子が生まれるように願い長女、また女の子を願い次女、

その翌年ココの地を願った。

その翌年に家。親の病気が快復しますように、仕事が軌道にのりますように、

楽しく、わだかまりなく、心がささくれ立つことなく生きていけますように。

それらは、みんな叶えられてきている。

と同時に、ずっと願い続けてきていることがある。

人の役に立つ人間になりたい。人が幸せになる助けとなりたい。

総てのモノが、平和に向っていきますように。

 

願いは願った瞬間から叶い始めるという。

人を踏みつけにしても金が欲しいと願えば、そこに向う。

誰かを何かを犠牲にして自分の欲望を優先させたいと願えば、そういう生き方になる。

 願いは願った瞬間に、そこに矢印が向く。

 

 何度も書いてきているが、私は2001年にとんでもないことになった。

それは何だったのか、未だによく分からない。

 その前から、実は物心付いた時から自分は物書きになるというか、自分は物書きだと

思っていた。

 死に掛かってから、やっぱり何かを発信したいという願いがこのホームページを作った。

更に、これは欲だろうか、本を出したいと願いだした。

 以前、エドガー・ケーシーを知った時(1998年)、「自分は本を出せるだろうか?」

と聞いたことがあった。

 その時「出る時は来る。でも、今ではない。そして、出たとしても自分を出しては

ならない」と言った気がした。

 これは、自問自答して出した答えかもしれない。

去年(2007年)の11月、誕生日が来て出版社に連絡をした。

金が掛かるが、出せそうだ。原稿は清書していなかったが出来ていた。

 しかし、いざ本にするとなった時、そこに自分の保身と仕返しの心が見えてきた。

それから、書き直しが始まった。1年経った今、ようやく諦めがついた。

 

 寿玄夢のペンネームで行こうと思う。

何故、寿玄夢なんですか?とよく聞かれる。

 私は落語が好きで、大事な息子に縁起の良い名前を集めて付ける最初の“寿限無”

(寿に限界が無い)にしたが、如何せん焼き肉やに同じ名前があった。

 めでたい寿はよしとして、限界なしでなく、入り口としての玄とすることにした。

玄関という言葉は魯迅(ルーシュン)が、初めて使った言葉だと聞いた覚えがある。

広辞苑に玄は、黒色、天の別名、微妙で深遠な理(ことわり)、老荘の道徳のおける

微妙な道(玄妙、幽玄)はるか遠いこと。と、ある。

 そして“限界が無い”はセットなので、無は使えない。

考え付いた“夢”は、子供の時から夢を記録し続けている私の十八番(おはこ)とも

いえるうってつけの言葉だった。

河合隼雄“明恵夢を生きる”は、私には難しすぎる愛読書だ。

 

 先日、「あなた、本書いてるんですって」と見ず知らずの人に言われた。

「えー、誰に聞いたんですか?

私が書きモノしてるってことは、信用出来る口の堅い人にしか話していないんだけど」

「いいでしょうよ、悪いことしてるんじゃないもの」

「いや、誰が書いているかに興味を持つような人っていうのは、書いたものを読んで

これはあそこのあの人のことじゃないの?

なんていらぬ邪推をするタイプの人が多いから駄目なんです。

私は誰かに迷惑を掛けたり、傷つけた瞬間に書く権利を失ってしまうんです。

お願いですから、私が書きモノをしてること言わないでください」

と言ったが、考えてみたらその人は私のペンネームを知らないんだから大丈夫だった。

 

 今年の七夕は、

“総てのモノが、許しと平和に向いますように”だった。

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