珠理6後編

 

 カーテンを繕いに行った時、珠理は本当はもっといろんなことを感じていた。

廊下を挟んで両脇にある部屋。

 彼女は玄関を入ってすぐの右側の部屋に住んでいる気がした。

そこは以前お手伝いさんを置いていた部屋だった。気がした。

 その続きの奥が台所と風呂。

物音一つせずにシンと静まりかえっている廊下の左側に息子が住んでいる。

そして、その部屋にある神棚が乾いた埃に埋もれている。

そんな気がした。

 

 彼女が、もうこのままではいけない。と思い立って最初にしたことが、お化けのように

ぶら下がったカーテンを繕うことだった。

 救われたいと思って念仏を唱えた時、人はもうすでに救われている。というが、今の世

それは念仏だけではないんじゃないか、と珠理は思う。

 そういう時、藁(わら)にもすがる思いで人助けの仮面を被るモウジャに捕まる、自ら

引き寄せてしまうことがある。

 身体や心に傷を負って冷静な判断が出来なくなった時こそ、冷静な判断と決断が必要に

なる。元気な時にだってなかなか出来ないことをしないければならなくなる。

 

 やっぱり念仏なんだよなぁ。と、珠理は思う。

念仏というのは、念仏みたいなこと。という意味だ。

 それは、毒にも薬にもならない、生活に支障のない行為。

珠理の念仏は、風呂掃除、台所磨き、草むしり、家の中の整理整頓、冷蔵庫の整理、玄関

を掃き清め、靴を磨く、朝日に手を合わせ、夕日に手を合わせる、お月さんに手を合わせ

る。あげていったらキリがない。

 その行為は、喜びに満ちている。

その上行っていること自体が有難いのに、心の整理が出来てくるというオマケつきだ。

 

 家の中央に廊下が走って部屋を二分していると、家族に亀裂が出来る。と聞いたことが

ある。

 でも、そうなっていても仲好く暮らしている家は沢山ある。

真北の風呂は、男の居場所がなくなる。らしいが、それを解消する方法があると聞いた。

 それは、まめに磨いて清潔に保つことだという。

風水やら占いやらに囚われてしまっている人が、最近多いと聞く。

 でも、風水には意味があってその意味を知らずに形だけを行うことは、やらないと何か

悪いことが起きるという不安で、そこに喜びと感謝が見えない。

 大事なことは、それがやれる喜びと感謝なんじゃないかと珠理は思う。

 

 神棚を粗末にすると良くないと聞く。

なるほど、良く暮らせますようにと祈りながら神棚を大事にすることは、自分を大事に

する気持ちが同時にそこにあるんだから、それだけで幸せじゃろ。

 しかし、辛くて神棚の掃除所でなくなっている時、何をどうしたらいいか分からない

無知の時、その時程、神仏が必要な時はないはないだろう。と考えて珠理は気が付いた。

その時こそ、神仏は傍におられる。と。

 

 本当は、珠理は言いたかった。

玄関を掃き清め、彼女の部屋を左に移し、お風呂場を磨き、神棚を掃除して水をあげ、

手を合わせるように。と。

 でも、何も言わなかった。

言われて行い形から入るということもあるが、本人の意志で行う程、心のあることはない。

 

 応接セットのカバーを最後に納めた日、初めて息子が挨拶に顔を出した時、自分が思っ

た場所に神棚があるかな?きれいになっているかな?と、チラッと思ったがそこに目を

向けなかった。

 彼女は左の日当たりのいい部屋に移ったんじゃないかな。とも思ったが聞かなかった。

それでいいんだ。と思う。

 以前の珠理は、自分がそんな気がしたことを事実と符合しているかどうか、良くなった

かどうかを確かめたい気持ちでイッパイになった。

 でも、そんなことどうでもいいことなんだと思うようになって楽になった気がする。

 

 

 雛が卵から孵(かえ)る時、中から雛がコツンと卵を叩くという。

その時、卵を温めていた親も同時に叩くらしい。

が、その時、神様も同時にノックしている。んだと。

 

 無理にこじ開けたり、ノックに気が付かないと雛は死んでしまうという。

 

 怖い話だが、ダイジョーブだぁ。

神様が居る。

 若しかして、実は、子や親のノックの時も仕組まれ決まっていたりして。

だから、安心していいんじゃないかな。

 

 

 

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