珠理6白夜 前編

 

 珠理は、白夜行という東野圭吾の映画を観た。

そして、調子が悪くなった。

珠理は幼児虐待に触れるとおかしくなる。変になる。

そして、心に潜んでいる何かが暴れ出す。

 

 以前、近所の年寄りで通って来る人(吉田さん)が居た。

東京から越してきたという吉田さんは、言葉はきれいだが何だかしっくりしない感じが

した。

 気取ってるような奥歯に物が挟まったような話し方をするのが気になったが、何が嫌か

って、嫁のことを話す時が感じ悪かった。

「ウチの幸枝さん洗濯は好きなんだけど、お料理がねぇ」

って、何がねぇなんだー!と珠理は思う。

「お片づけがあんまりお上手じゃなくてねぇ」

 あんまりって?、お上手じゃないって?、要するに下手だって言いたいんじゃろ!と、

話を聞いているとムカムカしてくる。

そこで、「アタシ、片付けが下手なことなら引けを取らないよ。

そういう話聞いてると自分が言われてる気がして気分悪い」とハッキリ言った。

 すると、「あーら、あなたは働いているからいいのよ。

ウチの嫁の場合はパートで半日も働いていないんだから立場が違うわよ」と言う。

 そこで、

「アタシは吉田さんとこの嫁にならなくて良かった!」とまで言ったのだが、何故か

吉田さんは足しげく珠理の所へ通って来た。

 吉田さんは、漫画だけでなく本も沢山置いてある珠理の店でそれを読みに来るという

名目だったが、話してばかりいてさっぱり本を読む様子はなかった。

「幸枝さん(嫁)は、台所のザルやボールを小さい順に重ねてコンパクトにまとめると

いうことをしない人なのよ。

まとめたら一つになるものを、ポロポロ、ポロポロあちこちに置いてテーブルや棚の上を

あっという間にイッパイにしてしまうの。

一事が万事何でもそうなのね、整理整頓が出来ないのね。

だから、何をやってもまとまらなくて、家事が要領よくできなくてねぇ」

「えー、幸枝さんてアタシみたい。アタシもちゃんと整理するって出来ないの。

だから、本棚があっても並べないでテーブルの上に置いてるし、箪笥に洋服はしまわない

で山積みになってるしぃ」

「どうしてしまわないの?」

「しまわないんじゃないんだよ、しまえないの。

ドアは嫌だから外しちゃうし、箪笥に入れたら分からなくなっちゃって、なんていっても

ギッシリした閉そく感がダメかなぁ」

「おかしな人ね」と吉田さんは言ったが、珠理は自分が嫌われていないことを感じていた。

吉田さんは、珠理に「あなたって子供みたいな人ね。ウチの幸枝さんもそうなのよ」と

よく言った。

 そして、何かを求めてやって来ている気がしていた。

 

 その年の夏は暑かった。

暫らく吉田さん来ていないな。とハタと気付いたが、暑いから出かけるのを控えているん

だろうと珠理は思った。

 残暑も厳しかったが、朝夕凌ぎやすくなったなと思った頃、吉田さんがやって来た。

歩いてきたので吉田さんは汗をかいていた。

「あれぇー、お久しぶりー。元気でしたかぁー?」と珠理は、奥のテーブルに招き入れ

冷たい梅ジュースを出した。

「ありがとう」と、美味しそうにジュースを飲んだ吉田さんは

「それがねぇ、大変だったのよ」と言った。

「何が?」

「夏前に転んでアバラを折っちゃったのよ」

「えー、そうなんですかぁ」

「そうなのよ、それで入院してたんだけど退院してからも家に居て、今日ようやくここに

来ることが出来たのよ」

「えー、ってことは、そんなに来てなかったんでしたっけ?」

「そーよぉ」

「2、3カ月は来てないと思ってましたけど」

「いいえ、もう半年にはなるわよ」

「そうですかぁ。でも、良くなって良かったですね」

「そう、入院していたお医者様にも誉められたのよ。頑張りだから治りが早いって。

でも、家に戻ったら出来ないことが多くて、料理はお祖母ちゃんのがいいって

孫が言うもんから頑張っているけど、洗濯干しなんかは出来なくてね」

 何時もだったらいかに自分が頑張りやで色んなことが出来るかという話になるのだが、

その日は出来なくなったことを気弱に語り出した。

珠理は、以前に吉田さんが嫁の出来ないことを色々と言っていたことを思い出しながら、

「あれがダメだの出来ないだのって言い出したら、誰でも出来ないことだらけになるん

じゃないですか?

反対に出来ることを拾いあげたら、結構沢山あって誰でも捨てたもんじゃないんじゃ

ないですか?」と言った。

すると、

「そうだよねぇ。あんたは優しいね」と吉田さんは言ったが、私は誰にも助太刀している

つもりはないんだけど。と珠理は思った。

 

 次にやって来た吉田さんは

「今度老人ホームに入ることにしたから、もうここへは来れなくなるからね」と言いだし

た。

「何でまた?」と驚く珠理に

「もう決めたのよ」とそう言った吉田さんは、あの何時もの奥歯に物が挟まったような

歯切れの悪い、糞切れの悪い感じがなく清々しい感じになっていた。

 

 吉田さんは、早くに夫と幼い娘を亡くし意地を噛んで女手一つで息子を育てた。その

息子が連れてきたのが嫁の幸枝さんだった。

幸枝さんには悪い噂があったが、息子の選んだ人だ。何も言わずに迎え入れた。

生きていれば娘も同じ年だ。

娘も誰か好きな人を連れてきたのかもしれない。とその時、吉田さんは思ったという。

幸枝さんを娘だと思って大事に仲好くしようと思った。

でも、幸枝さんは十字架を背負っていた。

幼児期から母親から虐待を受け続け、小学校に入った頃からは父親からの性的虐待となる。

彼女は男と女によって異なるが、異性も同性も怖いみたいで女の前では口が聞けなく

なり、男の前では馴れ馴れしい甘えた口調になる。

 結婚して子供が出来たら落ち着くだろうと吉田さんは思っていたが、それは、結婚して

も子どもを持っても消えなかった。

孫が3歳になった頃、吉田さんは息子夫婦と一緒に暮らすことになってこの地へ来た。

同居して最初の緊張が解けた頃、幸枝さんはおかしくなった。

吉田さんが婦人会に入って旅行に行くことになると、そこへ着て行く予定だった服を

裁ちばさみで粉々に切り刻む。

それはもともとそうだったのか、吉田さんに母親を求めたのか、恨みが吹き出したのか、

吉田さんが家から出かけることを嫌がる。

 吉田さんの下着が度々なくなるので探すと嫁が着ていた。

「普通姑の下着なんか気持ち悪くて着ないわよねぇ」と吉田さんはため息をついた。

そのうち泣いたり騒いだり、暴れたりするようになった。

その時の様子は、幼児のようだったり幼児から子供になる頃の感じだという。

そうなったら、みっともないと思う反面可愛そうで可愛そうで、どうにかしてあげたいと

思うが、吉田さんにはどうすることも出来なかった。

それが息子の居ない時に起きた。

それを押さえようとした時転倒し、吉田さんはアバラ骨を折ったのだった。

 幸枝さんをどうにかしてあげたいと思ってきたが、自分が居ない方が彼女の心は乱れな

いのよ。と吉田さんは言った。

 若しかして自分の尺度で彼女を抑えつけようとしてきたのかもしれない。と言う吉田さ

んに掛ける言葉はなかった。

 珠理が見ていたつもりでいたことは、上っ面の思い込みでしかなかった。

とその時初めて気が付いた。

 珠理は分かったつもりで人を判断している自分への自己嫌悪でどうしようもない気持ち

になっていたが、それが落ち着いてくると、何の罪もない柔らかな幼児の身の起きていた

恐怖とおぞましさに襲われ出していた。

気持ちの良い筈の風呂で温まると嫌なことがあるという刷り込み。

暗い部屋や逃げ場のない部屋の怖さ。

 行き止まりになった息苦しさ。

どうしてこんなことがあるのか?

 消えてしまいたい悲しみ。

心が空っぽになって、無気力になる、それでも生きていなければならない。

 怖いと言ったらパニックになることを知っているから、殺し続ける気持ち。

 

 それを言うと、あなたもそういう目にあったことがあるの?

と聞いてくる。

 あったと言えばウソになるが、あったと言えば「あー」と分かった風の顔になる。

なかったと言えば「じゃ分かる筈ない」と。

 

 珠理は思っている。自分に言い聞かせてきた。

昔からそうだった何かをつきつめて考えているとやってくる何か。

 それは、自分の思い込みかねつ造かもしれない。と。

 

 知人が自殺した時もそうだった。

どんな気持ちだったの?どういうことだったの?

 と考えないようにしても考えてしまう、常に心から離れず寝ている時でさえもそれが頭

にある状態になる。

 そうなっていると何時か不意にそれは現れる。

現れると言っても目の前に出てくるのではなく、自分がそうなる。

 そして、あーそうだったのかぁ。と悶絶(もんぜつ)しながら思う。

悶絶とは、苦しみもがいて気絶すること。と辞書にある。

 自分事でもないのにそうなるのはおこがましいと珠理は思う。

思うが仕方がない。そうなるのだから。

 そして、意識がありながら動けない恐怖の中で「あー、そうかぁ」と思う。

それは、自分が出した答えではない気がする。

 

 今回の答えは夜中のテレビにあった。

 

 

 

 

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